同盟のジレンマとは、「見捨てられる恐怖」と「巻き込まれる恐怖」の相反を言います。
1945年、戦争に負けた日本国は無条件降伏をして、全ての権利を放棄しました。アメリカ軍を主力とする連合国に占領されて、軍事力も皆無となりました。
1950年に北朝鮮(金日成)が中国(毛沢東)とソ連(スターリン)の支援を受けて韓国に侵攻して朝鮮戦争がはじまります。日本に駐留していた連合軍は韓国を守るために半島に移動します。
1951年にアメリカと日本は平和条約と安全保障条約を締結します。警察予備隊(現在の自衛隊)が発足しました。
1952年に平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効して、日本は主権を回復しました。
1952年以降、日米の同盟は継続されています。
同盟には「見捨てられる恐怖」と「巻き込まれる恐怖」というジレンマがつきまといます。このバランスをとることが重要です。どちらかの恐怖を恐れすぎると、困った状況に追い込まれます。また、この恐怖のバランスは時とともに変化します。
日米同盟は常に政治的な駆け引きに使われます。現在の野党の主張は、トランプ大統領の米国から「見捨てられる恐怖」をアピールしています。少し前までは、「巻き込まれる恐怖」を叫んでいました。結局のところ、この両方が常に存在しているのです。
但し、これは同盟の相手国でも同じです。米国そのもの、あるいは傍若無人に見えるトランプ大統領も、日本に「見捨てられる恐怖」を常に抱いています。もちろん、地政学的に相手国と直接対峙しているのは日本ですから、「巻き込まれる恐怖」も認識しています。
お互い様なんです。
下請け中小企業の経営者と元請け大企業の関係も、一種の同盟関係です。
経営者は、「見捨てられる恐怖」と「巻き込まれる恐怖」のジレンマに常にさらされています。そして、「見捨てられる恐怖」を避けるばかりに、「巻き込まれる恐怖」を忘れたり、ときには実際に巻き込まれてしまったりすることがあります。
しかし、大企業側も同じで下請けと侮っているわけではなく、同じようなジレンマを抱えているものです。このバランスをとっていくことが、経営の舵取りですね。