相手がまとまると、こちらもまとまる

謙虚に真摯に・・は、割れることへの怖さの表れですね。

 

国会(本文とは関係ない)
国会(本文とは関係ない)

選挙が終わって、明日にも全員が再任される新内閣が発足します。選挙があれば、落選する閣僚もおりそうなものですが、前回・今回と現職閣僚の落選がありませんでした。

 

今回の選挙結果に対して、野党が統一しないから自民党が勝ったのだ。野党の得票数を足すと自民党を上回るのだから、選挙制度がおかしいのだ。という報道があります。

 

まぁ、こう言ってみたい気持ちもわかるのですが、野党側が統一されていたら与党側もまとまるので、投票行動はまた違ってくるのは容易に想像されます。

 

もともと自民党は(一応は自由民主主義を標榜しているようですが)、自由党と民主党が合同してできた政党です。何故、自由党と民主党が合同したのかは、相手となる社会党が統一したからです。

 

戦後の日本政治の立役者は吉田茂(自由党)ですが、反吉田で売り出したのが鳩山一郎(民主党)です。吉田と鳩山に思想や政策に大きな違いはなかったのですが、反〇〇!は、今も昔も人気を呼ぶ戦略です。1954年に鳩山民主党政権が樹立されます。

<次に鳩山民主党政権ができるのは、2009年ですね>

 

鳩山民主党政権ができたということは、当時の保守勢力が割れたということです。そこを突いて社会党の統一が起こります。当時の社会党は右派と左派に分かれて対立をしていました。

相手が割れたときはチャンスですから、社会党は統一して大躍進をします。

これに危機感を持った民主党は対立していたはずの自由党と保守合同を果たし自由民主党ができます。そして、55年体制と言われる自民党と社会党の二大政党制の時代がやってきます。

 

二大政党制が続かなかったのは、社会党の中心が左に寄り過ぎて右派が分かれてしまったことが原因です。これが民社党ですが、その後の民主党(鳩山由紀夫)の中核になります。

このとき、社会党の中心がもう少し中道寄りであったら、政権交代可能な二大政党制が確立されていた可能性は高いでしょう。

 

社会党が割れた後には、自民党の中心が右に寄り過ぎたと考えた勢力が割れていきました。新自由クラブや新党さきがけなどです。新生党はちょっと割れた理由が違うかもしれませんが、後に民主党と合流するので、一応は左よりなのでしょう。

 

歴史は繰り返します。これから野党再編がされると思いますが、そのときは与党側でも再統一の動きがでるでしょう。政治の世界は一寸先は闇だそうですが、国民生活に影響するので、できるだけ穏便に緩やかに改革してもらいたいと思っています。