豊洲問題。結局、誰もデータには興味を持たない

環境計量証明業に関わると、結局のところデータ(数字)に誰も興味を持たなくなったということが気になります。

 

豊洲新市場に関するニュース映像
豊洲新市場に関するニュース映像

小池新党:都民ファーストの会は、唯一無二の公約が「情報公開」でした。

 期待していたのですが、豊洲市場の環境分析のデータは昨年11月以降、開示されていません。(私が見つけられません。)小池都政で、情報公開は後退していませんか。

 

それにしても、皆さんデータ(数字)に興味を持たないのです。データがあれば、それを解析して事実を掴むことができるのですが、継続的なデータを入手することの意義を感じていないようです。ある時点の、ある値で判断するということが、問題の本質を分からなくしています。共産党都議団も、せっかく自主分析したのですから、継続して評価すればよかったのです。

 

環境計量の分野でも、以前は分析を依頼する側の人がデータ(数字)に興味を持っていました。データの傾向を見たり、異常値の原因を探ったりします。そのデータがどうして出たのかを解析することで、対策を練ったものです。

 

しかし、最近ではデータそのものに興味を失っている方が多くなりました。現在の環境計量は、分析機器の精度が上がり、計量に携わる人の技術も向上しているので、極めて高い精度のデータを短時間で提示することが可能です。

 

データを受け取る人は、「基準値の上か下か」という判断しかしなくなりました。データの意味を考えることが少なくなったのです。こうなれば、高い精度で測定することに意味がなくなり、値段だけが顧客満足度向上に寄与するようになってきました。

 

ごく最近では、この傾向が品質保証や工程管理でも見られるようになってきています。現場の技術者が、データを細かく把握して、統計的に解析して、改善していくことが、よい品をつくります。ただ、スペックに入っていればよいというわけではないのです。

製造工程の生のデータを、生産も品証も開発も・・誰でもみることができて、それぞれの視点で解析しているような工場が強くなっていきます。