吹屋ふるさと村(岡山県高梁市吹屋地区)はベンガラ色です

このところ、べんがら(弁柄)に関わることが多いので、ちょこっと紹介します。

 

ゴールデンウィークも近づいてきました。山口県から何とか日帰り圏内ですから、岡山県高梁市の吹屋ふるさと村への観光をご検討ください。

 

吹屋の街並み
吹屋の街並み

山口市から吹屋ふるさと村に行くには、自動車なら中国自動車道で東条ICを経由して4時間くらいです。ちょっと、遠いですかね?

高梁市観光ガイドにリンクをしておきます。

☞ 「吹屋ふるさと村」

 

さて、べんがら(弁柄)の説明です。

古来から赤い色の土を「丹」と言っていました。「丹」は「朱」辰砂(水銀朱)と弁柄(赤鉄鉱)の混合物です。

「朱」は黄味がかった鮮やかな赤で、動脈の血の色です。「弁柄」は「朱」と比べると暗く沈んだ赤で、静脈の血の色です。

古代の日本では「丹」から「朱」と「弁柄」を得ていました。両者は比重が異なるので、鉱石を細かく砕いて水に入れて攪拌して静置すると、重い「朱」が先に沈むので簡単に分けられます。

 

その頃には、赤鉄鉱は「弁柄」ではなくて「赭(そほ)」と呼ばれていました。「弁柄」と言われるようになったのは、天然の赤鉄鉱が多く産出されるインドのベンガル地方からの輸入がおこなわれるようになった中世以降のことです。「ベンガル」から「弁柄」です。

 

この弁柄を日本で最初に人工的に製造したのが、岡山県の吹屋です。吹屋には、元々優良な銅山がありましたが、その副産物として発生する硫酸鉄を原料とした弁柄の工業的生産に成功したのです。

画期的な製造法を確立した吹屋弁柄は、天然弁柄と比較して色が鮮やかなうえ、生産量が多いことから日本全国に販売されました。更には、有田焼の赤絵の原料としても珍重されたことから、ヨーロッパにも輸出されて彩色磁器の発展にも一役を買いました。

こうして、弁柄長者がたくさん生まれた岡山県の山間の村に、豪邸が建てられて豊かな文化が育まれました。あまり有名ではありませんが、一見の価値はあります。