南スーダンPKOでわかる撤退の難しさ

国会のやり取りを新聞で読むと、民進党は南スーダンに自衛隊が派遣しているのが間違いだったと言っているのですが、派遣したのは野田内閣だったと思うのですが・・??

 

私がなんとなく理解している範囲では、日本の自衛隊が国連の指揮の下で、南スーダンで施設の建設や維持補修、医療や難民キャンプの維持など非軍事的な活動をおこなっている。いわゆる、PKO(平和維持活動)と呼ばれるもので、その数は、およそ350人ほどである。

 

派遣に至った経緯は、ざっと以下のようなことです。

南スーダンがスーダンの南部自治区という立場から、独立を果たしたのが2011年7月です。国連は、さっそく南スーダンの独立と平和を維持する活動を開始した。9月には、国連の潘基文事務総長から野田総理に自衛隊派遣の協力が要請され、日本政府はこれを受諾した。翌年の2012年1月に、自衛隊の1次隊150人ほどが南スーダンに入った。

 

しかし、独立から僅か4カ月後の2011年11月には南北スーダンの国境紛争が始まっていた。今回、話題になっているPKO5原則に抵触しそうでしたが、当時の野田内閣(田中防衛大臣)は、衝突は限定的だとして、2012年6月には二次隊・11月には三次隊を派遣した。

 

その後、南北国境紛争は停戦に向かったが、今度は南スーダンでの内戦が発生して、現在は泥沼化の様相を呈してきた。多数の民間人が犠牲になり、人口1000万人の国で300万人以上が難民となっている。

しかも、内戦というより、今や民間人に対する殺りくや強奪といったほうがよい行為に、南スーダンの正規軍が関わっていることから、話がややこしくなっている。国連PKO部隊として派遣されていた中国軍やネパール軍も、南スーダンと戦争をするわけではないので、南スーダン軍に発砲することもできない。結果として、民間人が略奪され強姦され殺されるのを黙ってみていたと言われる。

 

PKO部隊には、旧宗主国のイギリスが工兵部隊を派遣しているほかは、欧米諸国は参加していない。主力はアフリカ軍で、これにアジア(中・韓・日など)軍が参加している。(弾薬が不足した韓国軍に自衛隊が弾を提供したことが問題になったりした。)

2016年11月に、このPKO部隊から主力のケニア軍が撤退したことで、部隊としての機能不全に近い状況になっている。

 

以上のような状況ですから、「自衛隊員の安全を守る」という主張はよくわかって、早々に引き上げればよいことは確かだとは思います。

しかし、非軍事支援だけをおこないルワンダ軍に守られているとはいえ、現地の人から見れば自衛隊は南スーダンの首都ジュバに存在する国連傘下の正規軍です。危なくなったからと言って、準備不足で引き上げてしまうと、南スーダンの民間人に対する大量殺りくがおこなわれる懸念があります。一方で、そうなったときに自衛隊は民間人の生命を助けることができないというジレンマもあります。

 

とりあえず、16年12月に派遣された11次隊からは、安保法制改正で宿営地を守るために武器を使うことと、駆け付け警護までは認められました。(それまでは正当防衛でしか武器を使えなかった。)しかし、現地の民間人を守るために戦うことは憲法で禁止されています。ただ、目の前で無抵抗で殺されている人を見て見ぬ振りをすることができるかは疑問ですから、不測の事態は起こるかも知れません。 

 

今の状況は、人道的な立場や日本の国際的な立ち位置からは、引くに引けないということになっています。今のところ、この苦境を脱する手立てはありません。現実的には、イギリスとアメリカが本格介入するしか治まりはつかないのですが、メイさんとトランプさんです。

 

自衛隊の日報問題で、辻本さんや山尾さんが稲田大臣を追求しています。自衛隊が日報を隠ぺいした(その通りでしょう)、「戦闘」という言葉が使われている(戦闘ならPKO5原則に反して撤退で「衝突」なら残れる・・変ですね)ということです。

結局のところ、第1次隊から第11次隊まで日報は見つかった?そうです(当たり前です)。

ところで、民主党政権下で派遣した第3次隊までの日報に「戦闘」という言葉があったら、どうなるのだろうか??