榎本武揚:「シベリア日記」の旅費精算

駐ロシア全権公使:榎本武揚一行4人が明治11年にロシアの首都サンクトペテルブルグから東京に帰任した際の旅費はいくらだったでしょうか?

 

連載3日目です。

☞ 2016/12/08 榎本武揚:北方領土問題を解決した男の「シベリア日記」 

  2016/12/09 榎本武揚:「シベリア日記」シベリア横断して帰任

 

先ず当時と現在の貨幣価値をざっくり合わせます。

先ず、政府統計である消費者物価指数で換算すると5485倍になります。

物価の指標になる米の値段では3536倍です。

一方で大工の日当では14304倍になります。

まるめて1万倍。つまり、明治11年の1円は今の1万円と考えても、まぁ大きな違いはないとします。また、当時の1円は1ルーブル67コカペイカで換算されていました。

 

さて、答えを先に書きますと、一行4人の日本への帰国旅費の総額は2500円(つまり、今の価値では約2500万円)でした。これは、高いと思いますか?安いと思いますか?

ちなみに、現在のモスクワ~成田のビジネスクラス正規運賃は58万円。エコノミーは40万円です。最近の報道から役人の出張経費は抑制気味ですから、トップ1人がビジネス(58万円)で随行3人がエコノミー(40万円)とすれば、約200万円です。

 

さて、少し解説します。

旅費にはペテルブルグから日本へ帰任する際の荷物の輸送費459円が含まれています。榎本は単身赴任でしたが、全権公使の威光を示すだけの物は持っていっていたでしょう。また随行した3人を含めて、引っ越し荷物の輸送費として必要経費ですね。

 

つまり、サンクトペテルブルグからウラジオストックまでの旅費に限れば、1968円です。現在の価値では2000万円ですから、今の費用の10倍ですね。

 

この旅費のなかで、金額で高いのは「馬車代」です。

馬車の購入代金は 2台で335ルーブル(約200万円)です。

4頭立てと2頭立ての2台の馬車ですから、馬は6頭用意します。また同じ馬でシベリア横断したわけでなく、何度も借り換えています。

例えば、ベルミからチュメーニまでが161ルーブル、以下トムスクまでが131ルーブル、クラスノヤールスクまで67ルーブル、イルクーツクまで188ルーブル・・・・といった具合で、合計の馬代が830ルーブル(500万円くらい)になりました。

これに馭者への支払いや馬車の修繕費(馬車の車軸にはバネが入っていないので、よく壊れたようです)に馬の藁代などを合計して240ルーブル(150万円)です。

ここまでの「馬車代」の合計が850円ほどで、旅費全体の45%くらいに当たります。

 

次に高いのは船賃です。その次は食費です。何せ65日間の長旅です。

更に、通過する町や村では番人や警官に付け届けも必要です。洗濯代や入浴代なども支払っています。変わったところでは、モンゴルや中国国境沿いを通過するところでは中国語の通訳を雇ったりしています。まぁ、旅費総額は大きいのですが、今問題になっている豪華出張とは全く異なりますね。

 

以上、平凡社「(現代語訳)榎本武揚シベリア日記」(諏訪部揚子・中村喜和 編注)

より抜き書きしました。

 

来週の、山口県での安部・プーチン会談が実りあるものでありますように願って・・。