西鶴と阪田藤十郎と市川海老蔵 歌舞伎のお話

先週は浄瑠璃の話を書きましたが、今週は歌舞伎のお話です。

 

歌舞伎の歴史は、出雲の阿国の「かぶき踊り」から始まったとされています。 

しかし、実際に演劇として確立するのは、西鶴が活躍していた17世紀の後半のことです。

西鶴は1642年生れで1693年に亡くなっています。

 

歌舞伎は江戸と上方のそれぞれで独立して発展しました。

江戸は、荒事を得意とした初代市川海老蔵(市川團十郎)が活躍しました。市川團十郎は1660年生れですから、西鶴より18歳若いわけです。

 

荒事とは、その名の通り荒々しい豪快で力強い歌舞伎です。金平浄瑠璃から発展したと言われています。今の十一代市川海老蔵さんの活躍にあるような、見得や睨み、隈取をする豪奢な扮装が特徴です。武士の街・江戸で好まれました。

 

 

また、当時は江戸開府から時間が短くて、全国から江戸に集まった人々の間で言葉が通じ難い時代でした。江戸言葉が定着するのは、18世紀中ごろです。

つまり共通語が無いので、身体で表現する荒事が好まれたわけです。現代において、外国人の方に歌舞伎が好まれるのもうなづけます。

 

上方は、和事を得意とした初代阪田藤十郎が活躍しました。阪田藤十郎は1647年生まれで西鶴より5歳若くなります。

和事とは、人形浄瑠璃の流れを受けて、柔らかくて優しい歌舞伎です。商人の街・大阪や古都・京都を抱える上方で好まれました。もちろん、言葉も通じたのです。

 

ことばを丁寧に使って、複雑なストーリーで人情や情念に訴えるのが上方の歌舞伎です。

近松門左衛門は阪田藤十郎のために「けいせい仏の原(1699年)」など多くの作品を書いています。

西鶴は歌舞伎を書いてはいませんが、好色一代男のような複雑な展開で、ある程度長文の物語を書いています。これらが受け入れられる素地が、当時の上方にはありました。