斐伊川とヤマタノオロチ

台風16号の豪雨で、出雲を流れる斐伊川は濁流が溢れんばかりです。

 

斐伊川の橋の上から、役所の職員の方が水位を測定しています。あちこち、合計すると20人くらいにはなったでしょうか?放水路のところでは、三脚を立てて定点観測もしていました。

 

斐伊川は宍道湖に流れ込む川ですが、有名な暴れ川で、何度も洪水を起こしています。洪水を回避するために、斐伊川の水を神戸川を経由して日本海に流し込む放水路が整備されました。延長13kmという長大なもので、平成25年に完成しています。

放水路は洪水が起こりそうなときだけ解放されるのですから、皆さん緊張感溢れる様子で見守っていいました。

 

さて、斐伊川はヤマタノオロチの伝説の元になったと言われる川です。八つの支流を持って、ヤマタノオロチそのままの形をした斐伊川は、古代より何度も氾濫を繰り返していたようです。

 

神話によると、高天原を追放されたスサノオノミコトが、出雲の斐伊川上流で老父母と娘が鳴いているのを見つけます。話を聴くと、父母にはもともと8人の娘がいたのですが、ヤマタノオロチが毎年一人の娘を食べていって、最後に残った娘だということ。そろそろオロチが来る季節なので、この娘も食い殺されるのではないかと三人で鳴いていると言います。

ヤマタノオロチは、ご存知のように、8つの頭と8つの尾がある大蛇です。

 

スサノオノミコトは、娘をかんざしの姿に変えて自分の頭に挿して、父母には強い酒を8つの甕に入れて準備するように言いました。

準備が整ったころ、ヤマタノオロチがやってきて娘を探すのですが居りません。そのうち、8つの甕の酒に気づいて飲みほしたところ、酔っぱらって眠ってしまいました。スサノオノミコトはチャンスとみて、オロチの身体を切り刻んでいきます。しっぽを切ったときに出てきたのが、天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)です。

 

スサノオノミコトは、この天叢雲剣を姉であるアマテラスオオミカミ(天照大神)に手渡します。そこから、この刀は、天孫降臨のときにニニギノミコに渡されて、現在に伝わり、天皇が伝承する三種の神器に加わりました。

 

スサノオノミコトは助けた娘(クシナダヒメ)と結婚して、子どもが産まれます。その七代後の子孫が、ご存知因幡の白兎のオオクニヌシノミコト(大国主命)です。

 

斐伊川は別名を出雲大川といって、出雲の国では神聖な川です。古代の神話の時代に、治水技術を駆使して、その大川の氾濫を防いだ人物が居たようです。毎年毎年、七年間も続いた洪水を8年目に防いだのでしょうか?被害をどうやって食い止めたのでしょうか?

 

また、その人物は、鉄の剣を持っていたか、鉄製の工具を使用したと思われます。

日本では、鉄の生産が始まったばかりの頃ですから、その人物は朝鮮半島からの渡来人あるいはその子孫でしょうね。

 

ついでに、鉄と言えば島根県・鳥取県は、秋田県と並んで日本の二大産地です。斐伊川の上流では良質の砂鉄が取れますので、氾濫によって下流に流された鉄は、赤い酸化鉄(ベンガラ)になります。暴れ川の水面が赤く染まると、古代の人は恐ろしい思いをしたことでしょう。

この恐ろしさが、オロチ伝説の元になったということです。