日本永代蔵の経済感覚

井原西鶴・日本永代蔵の連載は終了しましたので、その時代の経済感覚を考えてみます。

 

西鶴の日本永代蔵の出版は、1688年です。徳川家康の江戸開府(1603年)から85年、豊臣氏滅亡(1615年)から73年。江戸時代前期の終わり頃の物語です。

当時、町民や庶民によく知られていた実話を下書きにしています。面白おかしく書かれてはいますが、かなりリアリティのある経済小説集と言えます。

 

当時の経済社会が、今と遜色ないほどにしっかり機能していたことが判ります。

戦国戦乱の時代を治めた徳川幕府は、日本国土の開発とインフラ整備に邁進します。江戸をはじめとする都市をつくり、都市を結ぶ街道を整備し、物流を担う港湾や運河などの水運を建設します。更に、池をつくり川の流れを変えて農地を整備し、干拓によって新しい国土を拡げていきます。1688年は、徳川幕府の成立以降続いた高度成長政策が頂点に来ようとしていた時期にあたります。

 

当時の人口は約2500万人。江戸は世界最大級の100万人都市でした。ざっと、今の5分の1です。

 

当時の日本の石高合計は3400万石。徳川800万石とか、加賀100万石とかですね。1石を10万円と概算すると、3兆4000億円になります。

まぁ、闇経済の部分は今よりずっと大きいでしょうから、GDPなら5兆円でしょうか?今の約100分の1です。さっきの人口と合わせると、一人当たりだと20分の1ですね。

 

日本永代蔵では、分限(金持ち)は銀五百貫、長者(大金持ち)は銀千貫を持っている者を言うとなっています。銀五百貫は、今の価値で10億円。銀千貫は、20億円です。

価値観で言えば、20倍ですから、江戸時代の前期でも町民の大金持ちは400億円の資産を持っていたようなイメージです。

 

小中学校で習った、士農工商の身分制度で武士が威張って、町民は虐げられていたという様子とは随分違いますね。ちなみに、1万石の大名が集める年貢(税金)で、約4億円です。

加賀100万石の税収でも年間500億円に欠けるようです。

現在でも、小池都知事が報酬の半減をするとか、富山市議がお菓子代金をちょろまかしたとか。施政者の側がいろいろ辛いのは日本の伝統かも知れません。