防災の日に築地市場の移転を考える

 築地に市場が移転されたのは、関東大震災で日本橋魚河岸が全焼したからです。

 

 昨日(8月31日)に小池東京都知事が築地市場の豊洲への移転を延期するという発表をしました。理由は、1.豊洲市場に土壌汚染の懸念が払しょくされない。2.コストアップの原因が判明していない。3.説明責任が果たされていない。ということだそうです。

 環境問題に関わる立場で言えば、1の土壌汚染の問題は浄化工事は適切に実行されていて、懸念には及ばないとは思います。大きな問題は、2の不可解なコストアップです。仮にコストアップをしたとしても、それで最高水準の施設が出来上がっていれば納得がいくのですが、報道資料などを観る限りでは、かなりお粗末な感じがします。

 

 今日(9月1日)は防災の日です。この時期は、台風が頻繁に襲来して風水害の被害も多い時期です。台風10号による岩手県・北海道を中心にした大きな被害は、まだ全容がつかめていない状況です。

 

 防災の日の由来は、大正12年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災です。死者・行方不明者10万5千人余、建物の全壊・全焼33万戸余、という凄まじい被害がでました。

 家屋の倒壊による死者が1万1千人、土砂崩れと津波での死者が合わせて2千人。被害が大きくなったのは大規模な火災によって9万2千人が亡くなったことです。東京・神奈川を中心に多くの住宅や施設が焼失しました。

 

 ちょっと余談ですが、地震ののものは避けられないので「減災」ということが言われます。今年の熊本地震では、火災がほとんど発生しませんでした。これが、被害を最小限に食い止められた大きな要因です。熊本の方の意識の高さや近年の設備改良の成果が、もっと賞賛されるべきだと思います。 

 

 江戸時代から300年以上も続いた日本橋の魚河岸も、京橋の青物市場も関東大震災による焼失を免れませんでした。

 そこで、震災復興事業として築地に市場が設けられることになりました。

 東京湾を埋立して用地を確保して、昭和5年12月に着工した工事は昭和9年8月に完成します。震災の後も日本橋や京橋などで営業していた卸問屋や仲買人を築地に移転してもらうことになります。

 

 しかし、卸問屋の合併問題や意見の対立があって、移転は紛糾します。築地市場が業務を開始できたのは翌年の昭和10年2月で、その時点で参加していたのは卸売業者5社だけでした。全ての業者が移転して業務を開始したのは、昭和11年1月のことだったそうです。

 多くの業者が関わる市場移転では、意見をまとめるのが難しいのは当時も変わりません。

 

 さて、昭和9年完成ですから、築地市場は80年余り前に建設された施設です。当時の世界最高の技術を集積して作られたのだそうです。世界最大の鉄骨建築としてつくられた築地市場は、まさに世界一の豪壮雄大な市場でした。(建設費1500万円)

 あまりに優れた施設だったために、80年が経過して、人口が3倍になった現在でも、問題を起こさずに機能しています。

 

 豊洲新市場の施設が、80年先を見据えたものなのか、それとも4年後の東京オリンピックのためのものなのかは、説明される必要がありそうです。 (建設費2800億円)

 昭和9年の1500万円と平成28年の2800億円を比べるのは難しいのですが、昭和9年の1500万円ほうが、どうも少し安いようです。