日本永代蔵より(29)・・・身代固まる淀川の漆

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第二十九回。

 

”山代に隠れなき与三右の水車” (京都で名物になっている与三右衛門の水車)

 

人というものは早川の水車のように、いつも一生懸命に働かなければならない。早川の流れは24時間で300㎞と計算されていますが、水の流れにさえ限度があるのだから、人の一生などは長いように思えても短いものです。

 

京都の淀川沿いにある㈱YOSAUの社長は、もうすぐ老人の仲間入りをする年齢です。最初は小さな資本の会社でしたが、人の力を超えた幸運で会社は大きくなりました。

 

ある年の梅雨に、長雨が続き川の水位が高くなっていたところを、前線を大型の低気圧が刺激して集中豪雨が続きました。淀川の沿岸部では、消防や警察が、洪水や浸水の被害を最小限に食い止めようと必死の作業をおこなっています。

そんなとき、氾濫寸前の淀川を何か大きくて黒い塊が流れてきました。川の様子を観に来ていた社長は、それに目を止めます。ほどなく水際の松の木に引っかかった塊を見つけて、取り上げてみると、淀川の支流から流れ込んだ漆が固まったものでした。

 

目利きの社長は、この漆を砕いて製品化してみたところ、高品質の商品になりました。これをきっかけにして、漆の商売をはじめたところ年商6億円の事業になり、町で一目置かれる会社になりました。YOSAUの事業は、当に天の与えた幸運からはじまり、金が金を儲けるようにして、発展していきました。

 

起業する人の中には、親を騙して金を譲り受けた人、博奕で一獲千金の幸運がはじまりの人、まがい物の商売を始めた人、裕福な家の女性と好きでもないのに結婚した人、宗教法人にして寄付や寄進を元に商売したり、人に知られたくないような汚い仕事に手を染めたり、いろいろな人がいます。しかし、こんなきっかけで成功しても嬉しくないでしょう。

 

正当な方法で起業をして、成功する人こそが真の企業家です。他人がケチだと笑ってはいけません。それは、その人の心構えによるところです。一方で、手を出して物を盗まなくても、泥棒の心と違わない非道の人も、世のなかにはたくさんいます。

 

借金が嵩んで、次第に資金繰りに詰まって、さまざまな遣り繰りをしてもうまくいかなくて、会社が傾いていっても、少しも資産内容を偽らず、細かく事業内容を報告して、正確な決算書を提出した末に、ついに破産した会社の場合、債権者は損をするものの会社を憎まないものです。

 

最近のある会社の経営者は、自社の力量を超えたビジネスに手を出して、借金を重ねて日々を送りながら、計画倒産の用意をしたうえで、不動産を買い増し、取引先との交際接待を華やかにおこない、従業員家族を集めたパーティーを開催して、あえて人目に付くように新しい高価な仕入をおこない、社屋を改装して報道陣に披露して、世間の人に羨ましがらせて、社屋は直ぐに人手に渡るのですが千年続く企業のように見せ掛け、最新鋭の機械を発注して、借り入れられる先から最大限の融資を引き出して、一生分の生活費を確保して、そのうえに子どもの教育費も取りおいたうえで、債権者には均等に35%が戻るように細工をして倒産しました。35%というのが、絶妙です。

 

経営者は、倒産したときは、悲しげな顔をして謝罪をしたものの、数カ月すると「雨降って地固まる」と自分から言い出してケセラセラ。笑顔で復帰して、「人民元は売りか買いか?」と相場を聞くなど、隠匿した金があることを疑われるようなことを平気でする。

恐ろしい世の中です。うっかり金を貸すことはできず、娘を嫁にも出せず、念には念を入れても損することは多い。

 

最近は何十億円・何百億円という規模の倒産もときどきあります。倒産も時代に応じて、大規模になっていきます。ビッグビジネスは、儲けも大きいが、損も大きい。それがビジネスの面白さでもあります。

しかし、ビジネスでは理念と計画が大切です。「欲しいものを買わず、惜しいものを売れ」というのが商売の要諦です。事業では奢りや見栄をやめれば、繁盛します。そして、なにより、自己資本を充実させていくことが肝心です。

 

さて、天の与えた幸運で会社が大きくなったYOSAUのその後です。

会社は、淀川のほとりに、京都風の豪奢な建物を建てました。数多の名工を集めて、高級な漆器を取り扱う店に相応しい構えです。淀川の水を引き込んだ泉水には、美しい水車を配置して、お客の目と耳を楽しませます。漆器を洗う音が心地よく、鯛の塩焼きの香りが漂い、茶は宇治の最高級、酒は伏見の名品を揃えて、客は途切れず、この繁盛はいつまでも尽きることは無いと思われました。

 

ある年、社長は石清水八幡宮の神霊をお迎えして神事を執り行うことになりました。おめでたいことはこの上ありません。しかし、この行事は亭主の心持ちが問われる儀式です。亭主が、神事に掛かる多くの出費を惜しいと思えば、たちまち無駄になって、この家は破滅するという言い伝えです。その神事の最中に大鍋で料理を作っているところを通りかっかった社長が、コンロの炎が大きすぎると惜しんだことから、YOSAUは程なく絶えると噂されています。さて、どうなるでしょうか?