花火大会真っ盛り・・鍵屋は創業358年

花火と言えば、「たまや~」「かぎや~」。鍵屋は今も続いて創業358年。

 

日本は、長寿企業がとても多い国です。圧倒的な世界一です。

花火の鍵屋(株式会社宗家花火鍵屋)は、萬治二年(1659年)創業の長寿企業です。ホームページにある「鍵屋の歴史」がちょっと面白いので紹介します。

 ☞ 鍵屋の歴史

 

玉屋は鍵屋の七代目弥兵衛(鍵屋の当主は代々弥兵衛という)が、当時の番頭・清七にのれん分けして出来たのだそうです。文化五年(1808年)のことです。

隅田川の花火で鍵屋と玉屋の競演が名物となり、「たまや~」「かぎや~」という掛け声がかかったわけです。この玉屋と鍵屋の屋号の元は、稲荷神社の狐がくわえている玉と鍵です。玉と鍵は、陽と陰・天と地を示しており、萬物はこの二つから生れ、育つといわれています。

その後、玉屋は天保十四年(1843年)に失火を起こしてしまって、江戸所払いとなり廃業してしまいます。失火の原因はわかりませんが、花火つくりには危険があります。

  

さて、初代の鍵屋弥兵衛は奈良・篠原村の出身とあります。篠原村の近くには鉄砲などで使う黒色火薬を製造していましたので、そこで修業した人物と言われます。

当時の「花火」は、今のような打ち上げ花火ではなくて、筒に火薬を入れて火花を出す「立花火」でした。

初代弥兵衛は、江戸・日本橋に出て、葦の管に火薬を練って小さな玉をつくり、「火の花」「花の火」「花火」と称して売りだしたところ、飛ぶように売れたそうです。

今風に言えば、軍事技術の転用なのでしょうが、アイディアマンだったのでしょうね。

 

享保十八年(1733年)に、六代目弥兵衛が両国の大花火で、仕掛け・打ち揚げ合わせて約二十発の花火を上げたとあります。僅かに20発ですが、当時としては画期的な出来事だったのでしょう。

江戸時代では、硝石と硫黄と木炭だけで作った花火ですから、色がついているわけでもなく、丸く開くわけでもなく、打ち揚げの音も無いので、今思うととても地味なものです。

 

花火が真丸く開くのは、十代目弥兵衛の苦心によるものだそうで、明治七年頃だそうです。

花火に薄桃色とビワ色程度の色がつくのは、十一代目弥兵衛による塩素酸カリウムなどを使った工夫の賜物だそうです。明治十年(1877年)頃のこと。

つまり、花火が丸く開いて、色もつくというのは、結構最近になってのことなのですね。

 

さて、現在の鍵屋は十四代目と十五代目が経営されています。

十五代目は十四代目の次女さんですが、花火の研究で博士号を取得されています。伝統長寿企業の事業承継はうまくされているようです。日本の花火は世界一美しいとも言われますから、永く発展されていくことが期待されますね。