日本永代蔵より(27)・・・見立てて養子が利発

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第二十七回。

 

”武州に隠れなき一文よりの銭屋” (東京近郊で評判の高い両替商)


商売上手というのは「利益還元!」「出血大サービス」とか、まぁ嘘を並び立てるものですが、買う側もそういう文句を聞いて楽しくて、つい買い求めるのが世の習いです。

 

世界有数の企業でトップ2まで務めた男性が、早めの引退をして、神田明神の前に瀟洒な家を建てて住んでいました。資産はたっぷりあって、一生の暮らしに何の心配もありません。今更、新しい会社で働く気にはなりません。

 

仕事ばかりの人生で、結婚しないままでした。通いの家政婦を雇って、成り行き任せの気ままな生活を楽しもうとしました。ただ、何もしないでいると世間の目がうるさいので、近所に陶磁器を商う小さな店を出しました。申し訳程度に商品を並べていて、客が来ると1万円の商品は1万円とありのままに言って、一切の値引きには応じません。結局、店を3年開けていましたが、皿一枚も売れません。商売は正直一途ではうまくいきません。買い物は楽しみでなければなりません。

 

東京の商売人は、毎年11月20日にエビス・フェスティバルを称して、1年間最大のイベントを開催するのが恒例になっています。この日は、仕事は臨時休業して、それぞれの商店の利益相応の規模で社員と取引先を集めてパーティーを催します。

この日ばかりは、社長も機嫌よさそうに取り繕い、従業員一同も余興を披露したり、大盛り上がりです。夕方になると、東京中の飲食店や飲み屋が大繁盛することになります。

 

こういう行事は関西でもおこなわれるのですが、東京と関西の違いは、東京では祝儀袋にお札(紙幣)が入っていて、関西ではコイン(硬貨)が入っていることでしょうか。東京では、この日ばかりは皆太っ腹で、けちけちしないで、宵越しの金は持たないといった、昔ながらの江戸っ子気質を見せつけます。

 

このパーティーには、おめでたい鯛の尾頭付きが欠かせません。しかし、ときは11月ですから、海も荒れて天然の立派な鯛はとても高価です。そのうえ、みんなが買い漁るので、値段は天井知らずに上がっていきます。

ある年には、鯛1尾が10万円にもなりました。しかも大きさは中くらいです。この鯛を社内のパーティーに使うのですから、東京の繁栄は大したものです。もし、京都なら、1尾の鯛を五つに正確に分けて、五軒でシェアするところでしょう。

 

日本橋にさる商店があり、多くの従業員を使っていました。主人は、日頃は質素倹約に努めていますが、この日ばかりは10万円の鯛を買って、従業員に紙幣の入った祝儀袋を配ります。従業員一同、心から1年の繁盛を祝います。

 

大勢の従業員の中に、三重県の商業高校を卒業してこの年に採用したばかりの若者がおりました。この若者、自分の御膳を前にして「東京に出て働くからこそ、こんな贅沢が出来るのだなぁ・・」と独り言をいって、ちょっと目には喜んでいる様子です。

 

これを主人が見掛けて、話しかけてみると、「この鯛の焼物は10万円を11切れに分けたのだから9090円にもなる。この店の商品の平均粗利益は22%だから、41,320円を売らないといけない。これでは、金をかじっているようなものだ。祝う心は同じなのだから、何も季節外れの鯛でなくても、安い季節の魚で構わないのではないか。」と若者が応えました。

 

主人はこれを聞いて感心することしきりです。「これは賢い若者だ。何年も勤めているベテランの従業員達でさえ、何も思慮しないで、箸は右手に持つものとだけ心得て、主人の恩も考えることはないのに、いまだ若年なのに物の道理を知っているのは、天の道理を身に付けているようなものだ。」と思います。

 

そこで、早速親類を呼び集めて、この逸話を詳しく話して、「この若者を養子にして、いくいくはこの店を継がせる」と宣言しました。

 

そこで、若者の三重の実家に養子縁組の申し出をしようとしたとき、その若者は、「入社間もない私に、そのような申し出をいただき、感謝いたします。心遣いも嬉しいのですが、実家への連絡は待ってください。もし上手く話しがまとまらなければ、三重まで行った旅費が無駄になります。この店の経済状況を私は知りません。世の中には、外見はしっかりしているように見えても火の車の会社もあります。やりくりが苦しくて、借金まみれということもあります。

私はこの店の状況をよく観察しなければ、養子になるわけにはいきません。」と、図々しいことを言い出します。

 

ところが、主人は、この言い分にも感心して、「おまえが心配するのももっともだ。だが、この会社は有利子負債は一円もない。」と経理帳面全てを若者に見せます。「自己資金は約50億円ある。この他に現金3億円を確保している。」と預金通帳だって見せました。

 

 若者はこれを見て、「なんと商売ベタなのでしょうか。預金している現金は、この低金利では1万円も多くはならないでしょう。働きのある現金を隠し持っているのは、商人としては失格です。こんなことだから、店が大きくならないのです。頭が禿げるまで東京で働きながら、僅か50億円の会社にしかできず、この程度のことで大きな顔をするとは嘆かわしい。私を養子にするのならば、20年のうちに東京で三番以内の大きな店にしてみせるから、長生きをして、よく見て置きなさい。」と、またまた酷いことを言う。

ところが、何故か主人はこの言い分にも感心して、正式に養子に迎え入れます。

 

<ちょっと飛ばして・・漫画的な行動がいろいろ書いてある> 

 

とにもかくにも、若者の才覚は素晴らしく、この店は、15年後には無借金のままで自己資本500億円の大会社になりました。

養子は、主人夫妻には、ゆったり足が伸ばせる湯船がある立派な別荘を建てて、毎週金曜日の3時には運転手付きのリムジンで送り届けたり、養子として父母への孝養に努めました。

 

いかに東京と言えども、こんなにうまくいく話はあまりありません。

三文字屋という会社は、革新的な携帯用雨具を発明して販売したことから、大人気の店になりました。世界中から、ファッショナブルだけど役に立つ・高級品だが使いやすいモノをどんどん仕入れて売り出しました。都内に9店舗を展開して、超有名ではありますが、一代限りの繁栄では、たいした金持ちというわけでもありません。

 

逆に親がたいそうな資産家だった男は、いい加減な商売をするものだから、相続から15年もすると1円も残りません。裕福な生活の中で、歌に踊りに、囲碁に俳句・短歌、華道・茶道に香道まで極めた芸達者、何をやらしてもプロ顔負けです。

それでも、プロではなくって、近所の子どもや奥様達への個人教授で少しの稼ぎをするのがやっとです。こんな稼ぎでは、病気になったりすると心配です。

 

ある経営者は、次のように言っています。

「生き長らえるだけなら六十年を暮らすのは難しくない。しかし、世間体を保つ暮らしは六十日でも難しい。それぞれの家業を油断なく全うすることが大切だ。」