中国語の文書は読み替えされるので要注意

契約書に「疑義が生じた場合は、双方誠意を持って・・」は日本国内の契約にしかない。

 

日本国内の契約では、信義則といわれる条文が含まれるのが通常です。「相互反映の理念にもとづき、信義誠実の原則に従って・・・」 などと大仰なことが書いてあります。

 

しかし、アメリカで結ばれる契約書には、そんなことは書いてないそうです。問題が起きたときに、誠意を見せるなんてことは、最初からあり得ない。このために、アメリカでの契約書は日本人がびっくりするほど分厚いのだそうです。

 

そして、契約書を結ぶときに最初に衝突するのが「使用言語」とのこと。アメリカだから必ず英語というわけではなく、自社が最も理解できる言語を使うように主張し合うそうです。

 

アメリカをはじめとする海外でビジネスをするには、契約書をそのニュアンスも含めて、完璧に理解することが必要です。翻訳事務所に頼んで、日本語に直してもらった契約書を、いくら理解しても効力はありません。 

 

中国での契約で使用言語を英語にする場合もあるでしょうが、日本語と中国語の両方で結んで、どちらも効力があるとする場合があります。特に、社内に英語(あるいは中国語)ができる信頼できるネイティブの社員がいない中小企業ではよくあります。

 

中国語の文書は二重の意味で要注意です。

先ず一つは、中国語はどんな風にも理解できる場合があることです。老子をテーマにしたブログを気楽に書けたのは、老子の文章がいかようにも訳せるからです。

特に当時の文章には句読点がないので、「ここではきものをぬぐ・・」が、「ここでは着物を脱ぐ・・」なのか「ここで履物を脱ぐ・・」なのかは、どちらにとっても構いません。同じようなことが現代の中国語でも起こります。

 

有名な論語の一節に「孟武伯問孝。子日。父母唯其疾之憂。」というのがあります。

(孟武伯、孝を問う。子日く。父母は唯だ其の疾を之れ憂う。)

孟武伯という若者が孔子に親孝行とは何ですか?と質問してところ、孔子が「父母唯其疾之憂」と応えたということです。

 

この父母唯其疾之憂」には2000年以上、次の3つの解釈があります。

「父母に心配かけるのは病気だけにしなさい=それ以外のことで心配をかけてはならない」

「父母は子の病気だけを心配するものだ=子は健康に気をつけて心配させてはならない」

「父母が病気になることを子どもは心配することだ=父母の健康に気を掛けなさい」

まぁ、どの解釈を採用しても親孝行の説明にはなるのですが、内容は全く違います。

 

もう一つは、上に似ているのですが、中国の方は勝手に中国語の文章の語順とかを変えてしまうのです。そんな馬鹿な!と思うのですが、接続詞の位置を変えるとかは結構平気です。

自分の都合がいいように改ざんするのは正義と思うのか、全く悪びれることがないので、気をつけないといけません。

 

私の経験した例では 

「A、以及該A与B、C、D(A、及びそのAからB、C、D)」とあった文書が、「A、B、C以及D(A、B、C及びD)」に勝手に替えられていたことがありました。

とても重要な違いなのですが、指摘をしてもどこ吹く風で、何故そんなことを言うのかと不思議がります。合理的な説明があるわけではないのですが、どうもそれで正しいのです。これは文化なので、どうしようもありません。

 

なかなか正解はないのですが、海外とのビジネスでは契約書をきちんと結べることは重要です。けちけちせずに信頼できる法務の専門家と正式契約することしかないようです。