日本永代蔵より(24)・・・朝の塩籠 夕べの油桶

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第二十四回。

 

”常陸に隠れなき小金分限 人はそれそれの願ひに叶ふ”

(千葉で有名な大会社。人はそれぞれの志に応じた人生に落ち着く。) 


鹿島大明神の御託宣に「ゆるぐとも よもや抜けじの要石(かなめいし) 商神(あきないがみ)のあらん限りは」とあります。この意味は、総じてビジネスというものは「稼ぐに追いつく貧乏無し」ということです。

正直な仕事を続けて、僅かの利益でも稼ぎ続ければ、ビジネスが傾くことはありません。

 

戦後の復興期の日本や、資本主義経済に踏み込んだばかりの途上国でのビジネスならば、濡れ手で粟の大儲けもあったかもしれません。しかし、現在の安定したビジネス環境では、油断することなく堅実に働くことが大切です。

 

千葉県に小金産業という非上場の同族会社があります。自己資本300億円、実質無借金経営の超優良企業です。広大な敷地に巨大な工場を設けて、従業員は千人を超えています。

地元からの採用を優先し、他社と比べて親身な処遇をするものですから、千葉県では小金産業に就職するのがステータスになっています。創業社長は大邸宅に、4人の息子と住んでいて何の不満もありません。

 

社長も最初は小さなアパートに住んで、何の財産も持たない一人の若者でした。ただただ、律儀に働いて、貧乏に耐えて暮らしていました。毎朝出勤前には千葉特産の醤油の販売の商売をして、昼は容器製造の工場で働き、退勤後には石油缶や作業用靴の販売をしていました。

とにかく、一刻も無駄にしないで働きました。

 

商売でも毎年一度も損失を出すことなく、少しづつお金を貯めていきました。そうは言っても元手が少ないので、3000万円の元手がつくれたときには50歳になっていました。

そこから、千葉県第一の資産家になっていったのです。

 

そんな社長のところには、親戚と称する人が何人か訪ねてくるようになりました。もとより、付き合いがあったわけではないのですが、金持ちだけでなく、人格者としても有名になった社長を頼ってやってきます。社長は、結局6人の縁戚を家に住まわせたことがあります。

 

森島は、優秀な哲学者で、心根も優しい男です。

木塚は、女遊びが好きで、金使いの荒い男です。

宮口は、手先が器用で、細かい部品を作らせると優秀です。

大浦は、歌や踊りはプロ並みで、接待には向いています。

岩根は、たいへんな大柄で強面ですが、気が小さくて虫も殺せません。

赤堀は、乱暴者で、喧嘩早くて、困りものです。

 

社長は、善悪は差し置いて、とりあえず皆を会社に、いわゆる縁故採用しました。それなりの処遇をしたので、ずっと働けばそれぞれ管理職くらいにはなれたはずです。

しかし、長くは続かずに、6人はそれぞれ社長の下から離れていきました。

 

その、6人のその後ですが・・

森島は、東京の神田で古本屋の店員として働いています。

木塚は、浅草のホストクラブのホストです。

宮口は、芝大明神前の路上でアクセサリーを売っています。

大浦は、ちょい役ばかりですが、舞台俳優となりました。

岩根は、僧門に入り、郊外の無住の寺の住職に納まりました。

赤堀は、警備会社に就職して、ガードマンをしています。

 

社長は、「自分の趣味を極めようとする者はビジネスには向かないようだ。皆が自分の志に見合った身分に落ち着いた。器用貧乏というのは、人に優れた器用さは身の仇になるということだろう。ビジネスで成功するには、収支をきちんと計り、細かく計算をして、決して間違いをしないように、丁寧で正直に働くことだ。」と4人の息子に話したそうです。