日本永代蔵より(18) ・・・ 仕合せの種を蒔銭

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第十八回。

 

”江戸に隠れなき千枚分銅 備はりし人の身の程”

(東京で知らない者がない有名プロ―モーター。身の程をわきまえる幸せ。) 


 

人間は正直でなければならない。これは日本古来からの伝統です。その伝統の中心にある伊勢神宮の社殿はとても質素です。人々は神々を大切にして、神々は人々を守ります。

伊勢神宮は、内外両正宮に加えて、別宮14、摂社43、末社24、所管社42、合わせて125社の宮社をもって成っています。

 

そんな質素な伊勢神宮でも。参拝する者のなかには、神様よりもお金が大切だという不心得者もおります。願いごとはするけれど、賽銭は出さないようなけち臭い人のことは神様も笑って許します。

笑って許せないのは、神様の名前を勝手に使ってインチキな商売をする人たちです。

霊験あらたかと偽って、紙や石や水や壺やいろいろなガラクタを高額で売りつけます。祈祷や音楽で、病んでいる人の心のキズに巧みにつけこんで、骨までしゃぶりつくします。

そんな連中は、神様の名前を騙っていても、神社にお礼を言うことはありません。他人の金を集めることには熱心ですが、自分の金は一円だって払うのは嫌なのです。

 

あるとき、東京から秘書二人を連れた中年の紳士が伊勢神宮に参拝に訪れました。特に目立った格好でもないのですが、伊勢神宮の125社を一つ一つ丁寧に参拝して廻り、奉納した賽銭が1500万円にもなりました。さすがに、あれは誰だと噂になりましたので、話を聞いてみました。

 

紳士は、東京・日本橋で分銅屋という商号でイベント会社を営んでいたそうです。

21歳のときに、新人アイドルのイベントを企画したことをきっかけにして起業しました。その後は、野外コンサートや外国人タレントを集めた大型イベントなど会社を大きくしていきました。

紳士はずっと、外部の人に対しては、会社をできるだけ小さく見せることに苦心しました。その反対に、会社の内部は徹底的に鍛え上げました。

55歳になるまで一心不乱に働いて20億円ほどの資産を貯えたので、会社を後継者に譲って引退したところです。これまでの順調な仕事のお礼に伊勢神宮にお参りに来たというわけです。

 

紳士の周りにも、いろいろな人がいたそうです。

ある同業の仲間は、とてもすばしっこくて賢い男でした。才能の無いタレントや、芸の無い芸能人でも巧みに売り出して、毎日100万円づつ稼がせることもできました。いわゆる一発屋のタレントのプロモーションは大の得意で、毎日大儲けしてもいました。

それだけ儲けたのだから、金持ちとして落ち着けばよいのですが、こういう男にはそれができません。もっともっとと動き回るうちには、儲けも水の泡となってしまいました。

 

総じて、子役や少年少女タレントの収入は、その子の身に付かないものです。大阪でスカウトした天才子役には1日30万円の給料を払っていました。1年で1億円を超えます。それでも、20年経って引退するときには、舞台衣装の1枚も残っていませんでした。

芸能人では、貯めた金を元手にして手堅い商売をするような才覚があることは稀です。

 

それにしても、人にはそれぞれに天職というものがあるようです。

かつて東京に大きな災害がありました。紳士の近く、日本橋の古い会社や商店も、ほとんどが被災して丸裸になりました。それでも、数年たてば酒屋は酒屋、呉服屋は呉服屋、米屋は米屋、機械商社は機械商社、みんな震災前と同じ商売をして、今は繁盛しています。

繁盛していると言っても、大繁盛も少しだけ利益が出ている会社もあります。不思議なことに、元々大繁盛していた会社は、やっぱり大繁盛していて、そうでもない会社はそうでもないのです。

 

日本橋の近所で、一軒だけ仕事を変えたのは金属加工の会社です。震災で発生した廃棄物から金属リサイクルをする新事業に乗り出しました。目端の利いた新ビジネスだと、評判になって一時期は大きな利益を上げているようでした。それでも、なれない商売は上手く続けられないようです。今は、再び金属加工の仕事に戻って、堅実な経営をしています。

 

何といっても仕事というのは、簡単に身に着くものではありません。

紳士は、「誰でも今やっている仕事を一筋に精進するのがよいと思うよ」と言っていました。