日本永代蔵より(16) ・・・ 祈る印の神の折敷

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第十六回。

先週(5月1日)はGW中で、うっかり日曜日を忘れていました。m(_ _)m

 

”京に隠れなき桔梗染屋 藁人形の夢物語”

(京都で知らない者がいない染色会社。貧乏神のお告げで大繁盛。) 


 

京都の清水寺には「大金持ちになれますように」と昔から多くの人が願掛けに来ます。なかには、三井さんのように成功して、寺に多額の寄進をして大きな絵馬を掛ける人もいます。

高度成長のときはいざ知らず、日本経済はデフレで長期停滞していますから、神様に願掛けしたくらいで大金持ちになるのは難しい時代です。

 

有限会社桔梗は、京都で夫婦と従業員1人で染色業を営んでいる小規模事業者です。父親が創業して、今の社長は二代目です。正直に、少しも怠けることもなく、一生懸命に働いていましたが、なかなか利益を積み上げるまでにはいきません。

社長はあまりに貧乏が続くので、ある年の正月に、少々茶目っ気を出してみました。

「世の中の人は、恵比寿・大福と景気のいい神様をお祀りしているが、貧乏神だって神様だから、俺は貧乏神を祭ろう」と、藁人形をつくって渋帷子を着せ、紙子頭巾を被らせ、手に破れ団扇を持たせて、正月元旦から七日間、精一杯お祭りしました。

 

びっくりしたのは貧乏神です。ついに、七日の夜に社長の夢枕に立って語り始めます。

「私は貧しい家を回る役目の神様です。貧乏で借金もあるような家を見守る役目です。金持ちの家で、豪華な食事、華美な調度、遊興三昧の様子を見るのは嫌なのです。質素な暮らしで、節約に努め、正直な仕事をしている様子を見守りたいのです。

ただ、どうしても貧しくなると、質素に節約し正直な暮らしはし難く、酒や博奕に走ったり、いかがわしい仕事に手を出すものもあって、心を痛めていたところです。

社長は、この貧乏神を大切に祭ってくれたので、この恩は返さなければなりませんね。”柳は緑 花は紅” ”柳は緑 花は紅” ”柳は緑 花は紅”・・」と、語って消えてしまいました。

 

社長は目が覚めて、これはありがたい夢のお告げだと信じます。

”柳は緑 花は紅”とは、いったい何のことだろうかと考え抜きます。染色業へのお告げですから、染色技術のことだとはわかりますから、その日から日夜研究開発に没頭しました。詳しいことは知りませんが、数年の研究の成果で、これまでにはない風合いの緑と紅の染色が完成しました。

  

社長はこれを秘密にしたまま特許や商標を全て確保したうえで、京都で発表することなく、いきなり東京で開催されていた国際見本市に出品しました。飛びついたの、ヨーロッパの大手服飾ブランドです。こんな素晴らしい染色は見たことがないと、早速契約の打診がありました。

これをきっかけにして、桔梗屋は十年ほどの間に自己資本が100億円を超える優良企業に成長します。7つの工房がある本社工場に、社員75人が働いて、研究開発に製造に忙しくしています。

 

社長は、京都のその名も長者町に、大きな屋敷と美しい日本庭園がある自宅をつくりました。

会社の仕事は、75人の優秀な社員に任せて、ゆったりとした生活を送って、若いときの苦労を取り返しています。もっとも、ときどき訪れるヨーロッパからの得意客は、社長の自宅でのもてなしを喜んで、また新しい提案が出てきますから、ビジネスにも役立っています。

最近は、社員のなかで自分で東京に新しい会社を興したり、ヨーロッパに渡って自分の店を開こうという者も出てきました。

 

桔梗屋の社長の生き方が経営者の本来です。成功したビジネスマンで年をとっても社業にしがみついて、高齢になっても働き続ける人も多いものです。そんなことをしていると、後継者が育たずに、折角築いた会社もいつか不調になってしまいます。

経営者の本分は、社員を能力に応じて育成して、後継者をつくり、新しい事業の創造者や起業家にしていくことです。

 

人の人生は、13歳までは分別が無く、25歳までは親の指図を受け、その後は自立して一生懸命に働いて45歳(現代なら60歳かな?)で一生生活できるだけの資産を作り上げる。その後は、後進の成長を見守りながら、悠々自適に楽しく過ごすのが理想です。