二宮金次郎の「たらいの話」

この土曜日にセミナーでCSRについて話をしますので、関連する寓話を集めています。

 

二宮金次郎の「たらいの話」はもともと有名ですが、2013年に金次郎の子孫の方が雑誌でエピソードを語ったことから、再発見されています。

 

ちょっとアレンジすると・・

『人は何も持たないで空っぽのたらいとして生まれてくる。先祖や親が、友人や仲間が、先生や地域の人が、少しづつ水を注いでくれる。今やたらいには水が貯まっている。

 

たらいの水は自分の方に引き寄せようとすると向こうに逃げてしまう。他人にあげようと押し出せば水は自分の方に帰ってくる。幸せは独り占めしようとすると逃げていくけれど、他人と分かち合おうとすれば集まってくるものだ。

 

たらいに水は自分では注げない。他人のために水を押し出している人だけが認められ感謝され、また水を注がれる。そうしてたらいには水が満ちてくるので、自分は見ずに感謝して他人のための水を使っていく。これが、自分の幸せになるのだ。』

 

 

人も会社も同じです。他人(社会)の役に立つことは、自分のためになるのです。俗な言葉ですが、「情けは人の為ならず」とも言います。

 

余談ですが、「情けは他人(ひと)の為だけど、いずれ巡り巡って自分の幸せになって戻ってくるものだ。」というのが本来の意味です。最近は、「情けをかけることは、結局その人の為にならないので、すべきではない」と、全く正反対の意味にとっている人も多いそうです。

 

先日、三菱の社是について書きましたが、住友は「自利利他公私一如」です。

「住友の事業は、住友自身を利するとともに、国家を利し、且つ社会を利する底の事業でなければならぬ」という意味です。

自利利他は、大乗仏教の言葉ですが「他人の幸せが、そのまま自分の幸せ」ということです。