日本永代蔵より(9) ・・・ 天狗は家名風車

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第九回。

 

”紀ノ国に隠れなき鯨えびす  横手節の小歌の出所”

(和歌山県で知らない者がいない経営者。歌にまで歌われるほど。) 


自分こそが賢くて正しいと思っていても、知恵のある人は世の中にたくさんいます。

 

わたしは旅行で和歌山県の太地町を訪れました。どこからか調子のよい歌が聞こえてきました。その歌に誘われて行くと、有名な鯨えびす神社に着きました。境内には、あきれるほど大きくて立派な鳥居がありました。土地の人に、この鳥居の由来を聞いたところ、捕鯨船の船長から大社長になった源内という方が寄進したそうで、聞こえていた歌も源内社長の歌なんだそうです。

 

あるとき、捕鯨船に乗っていた源内さんは太地の沖で大きなセミクジラを見つけました。船からモリで突いて、目印の”風ぐるま”の旗を掲げました。港にいた仲間たちが手伝いの船を出して、浜まで引き上げました。全長が30メートルもある前代未聞の大きな鯨だったそうです。

 

町中総出で、鯨油を絞り、肉も皮もヒレも捨てることなく加工しました。太地の町の漁師たちには大きな儲けがでました。太い骨だけが残りましたので、源内さんがもらいうけることにしました。

何かに使えないかと考えた源内さんは、試行錯誤の末に、骨を粉末にして搾油すると特殊な鯨油が採れることを発見しました。源内さんはこれを売って利益を上げたうえ、この製法を広めました。

 

このときの利益を元手に、源内さんは株式会社天狗を設立しました。

㈱天狗はザトウクジラなど小型の鯨の捕獲に網取り漁法を開発し、道具ともども漁法を販売して、さらに大きな利益をあげました。ブランドマークは、もちろん”風ぐるま”です。

 

㈱天狗は、源内社長のアイディアで、その後もいろいろな発明を続けては利益を伸ばし、太地町で300人を雇い80隻の船を抱える有力会社になりました。源内社長は、決して収入以上の支出を許さず、堅実経営を続けたのでどんどん強固な会社になりました。

 

㈱天狗では「信心に徳あり」と寺院や神社に寄進を続けていました。特に、源内社長は兵庫県の西宮恵比寿を信奉していて、会社を興してから三十年間欠かさず正月の日の出にお参りしていました。

ところが、ある年は、大切なお得意様からの誘いを断り切れずに大晦日の年越しパーティーに出席しました。仕方なく年が明けてからクルマで太地町を出発しました。

 

例年は日の出に詣でるものが、クルマが大阪を通過したのが既に午後も遅くなっています。何だか落ち着かない気持ちになっているところに、年男で福男だからと無理に同行させた専務が「日も傾く頃に参詣して、会社が傾かなければいいがなぁ」などと冷やかします。

 

心底不愉快になったのですが、気を取り直して西宮に着きました。境内は初詣の喧騒もすっかり終わって閑散としています。毎年は歓迎してくれていた神主の姿も見えません。それでも、源内社長は毎年の習慣通りに境内五社参りを丁寧に勤めました。ただ、気持ちはやはり落ち着きません。

 

何だか疲れ果てて、帰りのクルマのなかで、いつの間にか寝入ってしましました。

そうすると、誰かが後ろから追っかけてきます。裾をまくって、走ってくるのは西宮の恵比寿さまです。なんと恵比寿さまが追いかけてきたのです。

 

追いついた恵比寿さまは、源内社長の耳元に霊験あらたかな声で

「源内よ。今日の恵比寿は機嫌がよいぞ。それで機嫌に任せて、誰かによい話を教えようと思っていたのだ。ところが、最近は粗雑な態度で慌てて参拝する者ばかりだ。教えようにも時間もない。源内が遅くに参拝してくれたので、おまえに教えてやろう。」

「瀬戸内海で獲った鯛をずっと活かしておく方法なんだが、尾の先から9㎝のところをとがった針で突くだけだ。これで鯛は仮死状態になって、活きたまま輸送できるようになる。やってみろ。」とささやきました。

 

源内社長、ふっと目が覚めて驚きます。恵比寿さまのお告げなんて半信半疑です。

それでも恵比寿さまの言葉通りに試してみると、本当に鯛を殺さずに輸送できるようになりました。㈱天狗は、鮮魚輸送事業を本格的に立ち上げて、業績をさらに拡大していきました。