日本永代蔵より(7) ・・・ 怪我の冬神鳴

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第七回。

 

”大津に隠れなき醤油屋  何をしても世を渡るこの浦”

(大津で知らない者がいない醤油屋。何をしてもうまく暮らしていく。) 


このところの好景気で、交通の要所である大津の街は、たくさんの旅行客で賑わっています。少々いかがわしい店なんかもあって、朝から深夜まで人通りも絶えません。街には、大金を貯めこんでいる者も多いそうです。

 

喜平治は真面目な醤油屋です。自分が働かないで一円だって稼ぐことはできないと知っています。綺麗な服を着るのが幸せだとは思わず、自分の力量に合った商売を正直にしながら、毎日を暮らしています。

喜平治は醤油の配達に出た先で、いろいろ見聞きをしては教訓にしています。

 

関寺の近くの森山医院の森山先生はやぶ医者だとの評判です。処方した薬が効かないとか、診断を間違っていたとか、患者が寄り付きません。仕方ないので往診と称して、ぶらぶらしていました。そのうち、生活費にも困るようになりました。森山先生、碁はなかなかの腕なので、今は碁会所で教えたりしながら細々と生活しています。

 

馬屋町の坂本屋は以前は大きな店で、主人の仁兵衛も大威張りでした。ところが、何をしくじったのか、商売がうまくいかなくなると借金ばかりが増えていきました。家屋敷もすっかり売り払ったのですが間に合いません。金持ち時代の態度が悪かったので、援けてくれる人もおりません。

老いた母親が不憫に思って、こつこつ老後のために貯めていた1000万円を生活資金に渡そうと考えました。でも、息子に直接渡すと、すぐに使ってしまいそうです。そこで一計を案じて、毎月初めに20万円づつ渡るように手配をしました。

仁兵衛は金が入ると、家賃を払い一月分の食材を買いそろえると、後はテレビや雑誌を眺めるくらいです。じっと我慢して、かつかつで一月を暮らしていました。

20万円の元手があれば、大家族でも楽々と暮らせる商売があるとは、気づかないようです。

  

松本町の後家さんは、一人娘に訛りのある言葉を使わせて、遠方からの家出娘の振りをさせています。この娘が、見知らぬ家に飛び込んで、援けを求めて何がしかのお金にするのです。

この寸借詐欺も、始めてから、かれこれ十二三年になりました。

 

追分町の大店では、娘が京都に嫁ぐのに1億円の持参金だと言うことです。どうも、結婚仲介会社のやり手の女社長が引き合わせたようです。

この女社長、相手側から一割(1000万円)の仲介料を受け取る約束のようで、最近では持参金を1億5千万円に値上げするように強弁しているそうです。

 

醤油屋の喜平治は、毎日聞いてきた話を、家に戻って奥さんに話します。

そんな話を毎日聞いている奥さんは家計をつつましく守り、子どもは賢く育て、一円の借金をすることなく生活しています。

このところの10年ほどは、12月に入るとその年の買掛金を全て精算して、翌年分の仕入の前払い金も納めて、年の暮れには毎年10万円くらいの手元資金だけを残すようにしています。

喜平治も奥さんも、こんな決まり切った正月を迎えられることを心から喜んでいました。

 

ところが、ある年の12月30日の明け方に、季節外れの冬の雷が鳴り響きます。

運悪く喜平治の店に落雷があり、たった一つの醤油の醸造器を壊してしまいました。

醤油屋に醸造器だけは欠かすことができませんので、夫婦二人で大慌てで金策に走るようになったということです。

 


【教訓】 運転資金(手元現金)を確保しておくことは大切です。