日本永代蔵より(6) ・・・ 世界の借屋大将

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第六回。

 

”京に隠れなき工夫者  餅搗きも沙汰なしの宿”

(京都で知らない者がいない倹約家。正月に餅もつかない家。) 


藤市さんは、京都市室町の繁華街で間口が4メートルに足らない小さな店を営んでいます。

店は賃貸借で、大家さんからの借り物ですが、100億円を超える資産を持つお金持ちとして有名です。

 

藤市さんは100億円の資産を一代で築き上げました。

小さい頃から、健康で利発で活発な子どもでした。店を持ってからも実に熱心で、早朝から夜まで店前を離れることはありません。

 

いつも愛用の手帳(今はタブレットPC)を肌身離さず、店の前を銀行員が通れば為替の動向を訊ね、証券会社員が通れば商品相場の意見を聞き、製薬会社の営業マンから業界動向を、商社マンからは国際情勢を確認していました。

 

毎日あらゆることを記録してある藤市さんの手帳(PC)は、いつしか京都の宝と呼ばれるほどになりました。今では、何かを調べようとする人は藤市さんの店を訪れるようになっています。

 

藤市さんは節約振りでも有名です。店に居るときは、いつも同じスーツに腕抜きをして、流行遅れの革靴を履いています。内装や看板にもこだわらず、安価などこにでもある材料でこしらえています。街を歩くときも、実に周囲に目を配っていて、どういう商売が流行り廃り、どこに出物の物件があるかは見逃しません。畑や田んぼの出来から、山々の木々の様子まで気をつけています。

 

藤市さんが100億円の資産を築いた方法をお教えしましょう。

これほどの金持ちになるまで、藤市さんの家では正月にお餅をつきませんでした。年に一度のことのために道具を揃えて保管するのは無駄です。正月のお餅は餅屋から買うことにしていました。

ある年のこと、12月28日に餅屋が搗きたての餅を運んできました。藤市さんは今は忙しいので後で来てくれと追い返します。ところが若い店員が代わりに、その餅を受け取って代金を支払ってしまいました。藤市さんは、「餅は搗きたてを買ってはだめだ。おまえは1㎏が2000円の餅を3㎏買ったわけだが、冷めてからもう一度量ってごらん。2.9㎏しかないから。」と言ったとか。

 

藤市さんの屋敷にはたくさんの木々や植物が植えられています。柳・柊・楪・桃・花菖蒲・数珠玉など。垣根には刀豆が植えられています。お判りでしょうか?どれも実用的なものばかりです。

柳は箸にして、柊(ひいらぎ)は節分の鬼やらい、楪(ゆずりは)は注連飾り、桃や花菖蒲は節句のお祭り、数珠玉で数珠をつくり、刀豆(なたまめ)は漬物にします。

 

さて、藤市さんには一人娘がおりました。小さい頃からテレビの娯楽番組やつまらない雑誌などは目に触れぬように遠ざけ、恋愛小説の類も読ませません。きちんとした基礎的な教育だけを厳選して受けさせました。娘のほうも、藤市さんを見習って、軽はずみな遊びにも気を取られず、家事全般をしっかりこなし、美しく育ったので、今では京都きっての才媛と呼ばれています。

 

ある年の1月7日の夜に、京都の大会社の社長が後継者候補の若者3人を藤市さんの自宅に派遣することになりました。成功の秘訣を聞いてくるのが三人の使命です。

その夜、藤市さんは自分で応接間に明かりを点けて暖房を入れて、娘に来客があったら知らせるようにと言いつけました。娘はわかりましたと返事をしましたが応接室にとどまり、藤市さんが書斎に戻った後で、そっと明かりを消しました。

娘は、玄関に来客があってから、もう一度明かりをつけました。3人の若者を応接室に案内した後で、娘とお手伝いさんは台所に向かったようでした。

3人の若者は、娘達が台所で何かしている音を聞いて、豪華な正月料理が振る舞われるものと期待をしておりました。

 

そこへ、藤市さんがやってきて、三人に節約の大切さを説きます。

「正月7日に七草がゆを食べるのは、水を多く入れた雑炊を食べて節約を学ぶため。」

「注連縄に掛鯛をするのは、魚を食べずに、これを見て食べた気になれということ。」

「正月に太箸を使うのは、汚れても削って使えば1年を1膳で済ませること。」・・・。

藤市さんの節約話に、若者たちは、ちょっと呆れてへとへとです。

 

最後に、「ずいぶんと夜も更けたが、ここで食事も出さないのが成功した資産家になる秘訣だ。娘達が台所の方で何かしているのが気になっているようだが、経理書類の製本をやらせているのだ。」と、にやりと笑って三人を送り出した。