「水俣条約」の締結決定・・防府のエジソンを想う

 水銀から健康と環境を保護することが目的の「水俣条約」の締結が、2日に閣議決定されました。

 

 水銀は人への毒性が強く、特に胎児や赤ちゃんの神経系に重篤な影響を与えることが知られています。生産量や使用量は抑制されてきていますが、現在でも化学工業の触媒などに年間3000トン以上が利用されており、そのおよそ半分が環境に放出されています。 

 

 「水俣条約」が発効すると、鉱山からの水銀産出を15年以内に禁止・水銀の貿易を認められた用途に限定・汎用水銀製品の製造/輸出/輸入を最大10年以内に禁止・化学工業での水銀使用を最大2035年までに禁止・・などが実行されることになります。

 

 この条約が“Minamata Convention“と命名されたことは、大変意義深いことです。日本の「公害の原点」である水俣病の重く深く長い被害を反省して、その教訓と経験を世界中で活かすことになります。また、現在の美しい水俣市の姿を観ていただくことも有意義です。

 

 さて、水俣条約の締結を受けて、環境省が水銀体温計の回収に取り組みはじめました。我々の世代では、水銀と聞いて、先ず思い浮かぶのが体温計です。 

 

 水銀は英語で”mercury(マーキュリー)” 水星と同じです。ギリシャ神話のエルメスに当たります。常温・常圧で凝固しない(液体である)唯一の金属元素です。そして、水銀には表面張力がとても強いという特徴があります。

 

 この表面張力が強い特徴があるので、体温計として使用されたのです。脇の下に入れて体温を測った後に外しても、強い表面張力と”留点”という仕掛けのおかげで直ぐには位置が変わりません。

 ”留点”とは、簡単に言えば水銀溜りのガラス管の端につくった細管です。

 

 世界初の水銀体温計は、1866年にドイツのエールという人が考案しました。

 日本で最初に水銀体温計が作られたのは明治16年(1883年)のことです。山口県防府市の柏木幸助という方が開発しました。

 最初は”留点”が無い、無留点体温計(体から離すと計測位置が変わるので、脇に挿んだままで体温を読む)でした。しかし、2年後の1885年には留点体温計の開発に成功し、柏木験温器製作所を興します。柏木式体温計は日本市場を独占して実業家としても成功します。

 

 柏木は、この他にも多くの発明をして「防府のエジソン」と呼ばれ、地域経済に大きな貢献をしました。 防府市青少年科学館ソラールでは柏木幸助のコーナーがあって、発明品の数々を見ることができます。 ☞ http://www.solar-hofu.sakura.ne.jp/

 

 現在では、水銀体温計は安全な電子式体温計に代わりました。回収がされますので、次の世代の子どもたちは、水銀体温計を見ることもないでしょう。

 ただ、公害の歴史を忘れないのと同じように、科学技術の歴史も忘れないようにしたいものです。