行政事業レビューとアカウンタビリティー(説明責任)

行政事業レビューの様子がニュースで流れますが、何故あんなに印象が悪いのだろう?

 

実際のレビューを傍聴していません。以下、ニュースを観ての印象だけで書きます。

ちなみに、インターネット生中継を自前の内閣府行政改革のサイトでやらずに、ニコニコ動画でやるのはなぜなのだろう?国会の生中継は政府のサイトでやっているのだから、それを使ったほうがよいと思うのですが。

 

 

行政事業レビューは毎年おこなわれているのですが、今年は河野太郎行政改革相の就任があって、注目度が格段に上がりました。そのために、ニュースでいくつもの映像が流れました。

 

例によって、指摘役の河野大臣・松本副大臣を含む人たちが尊大な雰囲気を醸し出します。偉そうにしている指摘役が発した”ワンフレーズ”だけが繰り返しテレビで報道されます。これに対して、いつもは偉そうにしている(だろう)官僚の方が、しどろもどろに解答する様子が流れます。この様子がとても印象が悪いです。悪代官のイメージで政府を貶めて、官僚に同情を集めるための、誰かの策略ではないか?と思うほどです。

 

民主党政権下、蓮舫大臣の事業仕分けでは「2位じゃ何故だめなんですか?」というフレーズが注目されました。

 

今回の気になったワンフレーズは・・・

「オリンピック・パラリンピックへの便乗するのか?」・・もちろん国際イベントへの便乗は大いに結構で、国の内外あまねく便乗してもらうようにするのが、行政の仕事だと思うのですが。なんか変ですね?

「国が花屋になるのか」・・もちろん、国が花屋になり、建設屋になり、自動車屋になることを国民は求めています。行政は社会保障費の配分の計算だけをするのではありません。

「経産省と環境省で類似の事業があり縦割りの弊害」・・近年、環境省は弱体化しています。類似の事業でも観ている方向が違います。環境問題が一層停滞することをとても心配しています。類似の事業があることに弊害があるという理屈が正しいのか検証して欲しいです。

 

さて、行政事業レビューはアカウンタビリティー(Accountability:説明責任)を果たすという観点からとても重要です。本来は行政用語なのですが、民間企業やISOなどのマネジメントシステムが先行して、行政でのレビューは遅れがちです。

会社で、MBO(Management by objectives)という目標管理制度が導入されたのは15年くらい前でした。それ以来、アカウンタビリティーはコンピテンシー(competency:高い業績を挙げる人の行動特性)と並んで、業績評価の中心手法になって完全に定着しています。

 

しかし、それをライブで公開することにどんな意味があるのかは理解できません。ライブになったことで、パフォーマンスに走るようになりました。

 

ただ、アカウンタビリティーを、「全てのステークホルダーへの説明責任」と考えるとちょっとおかしくなりそうです。河野大臣が、全ての国民に理解できるように説明責任を果たすことが重要だと指摘する場面が多いようです。

しかし、行政の事業を基本的な知識のない国民全般にわかりやすく説明するのは困難ですし、やろうとすれば大きな費用がかかります。そもそも、国民の側もそれを求めないと思いますし、説明したのだから理解しろと言われてもちょっと迷惑です。

 

最後に、スーパーコンピュータで「1位が1台あるのと、2位が10台あるのと、どちらが有効で、費用対効果が大きいかを国民に説明しろ」・・という指摘がありました。

先端サイエンスの領域で、質と量がどちらが価値があるのか?という質問のようです。もちろん、たった1台でいいので、他の国が容易に追随できないような圧倒的な1位を開発して欲しいです。費用対効果という問題ではありません。

 

とにかく、指摘が一々ピント外れなので、政治家にはこの仕事はムリなんだろうと思います。