事業承継の資料を読んでいて、ふと気になって戦国武将の承継について調べていて気付きました。
事業承継を検討している経営者の方は、60歳~70歳の男性が多いので、戦国武将を例にして事業承継のお話をすると興味が湧きます。そこで、これをテーマにした本やセミナーはたくさん出ています。また、三国志など中国に題材をとったものもたくさんあります。
織田家も豊臣家も武田家も事業承継には失敗しました。
織田信長は明智光秀の謀反で、道半ばで亡くなりましたが、後継者の信忠もこのとき同時に亡くなりました。トップの不慮の事故への備えは大切です。
豊臣秀吉は甥の秀次を一旦は後継者と決めていながら、実子の秀頼の誕生で変心します。結果、秀次を切腹させるのですが、幼少の秀頼に事業承継できるはずもありませんでした。
武田信玄は事業承継に関しては最悪の経営者と言われています。自分が死ぬまで(しかも健康状態がとても悪かったのに)後継について一切の配慮をせず、死後3年は自分の死を秘匿すること(もちろん出来るはずもない)を命令しました。武田家が勝頼の代で滅びるのは必然でした。
これに対して、15代・250年に渡って安定した事業承継をおこなった、徳川将軍家の仕組みは巧みでした。システムの話とか、いろいろ参考になることがあります。
徳川幕府の創業者である徳川家康は、1600年に関ケ原の戦いで勝利して、1603年に征夷大将軍になります。しかし、早くも2年後の1605年には息子秀忠に将軍を譲り、駿府で大御所として院政をひき、ここからの10年間で徳川幕府の組織体制を整備していきます。
1615年の大坂の陣で豊臣家を滅ぼして、盤石な体制となったのを見届けて1616年に、当時としては大変な長寿である75歳の生涯を閉じます。創業者として、理想的な人生といえるでしょう。
このテーマは、書くと長いのでちょっと気付いたことです。
徳川将軍は15代ですが、家康・秀忠・家定に継室があり、家継が夭折したので、正室は18人になります。(正室とは、正式な妻のことです。)
ここで驚いたのは、初代の家康を除く14人の将軍で、正室の子は3代家光だけでした。
(母は、浅井長政の三女”江”)
この理由にも諸説あるのですが、御三家の仕組みなどと合わせて、後継者が絶えることがないようにしていたようです。それ以外にも、お家騒動のようなことがおこらないような配慮を何重にもとっていたようです。
徳川家康ほどではなくても、事業承継は早めに準備をしていきましょう。