クック船長と豊臣秀吉と伊藤博文とマッカーサー

 この4人に共通して連想されるものはなんでしょうか?山口県の人にはピンとくるのですが?

 

 答えは、『ふぐ』です。

 

 クック船長(ジェームス・クック)は、英国海軍士官です。18世紀に太平洋を探検して、オーストラリアが大陸でありニュージーランドが島国であることを明らかにして正確な地図を作製しました。ハワイ諸島を発見したことでも知られます。また、クック船団は壊血病の克服に成功したように当時の最新の医療体制を持っていました。

 そのクック船長一行が、ニューカレドニアでふぐを食べて食中毒になります。幸いにも命を落とすことはなかったのですが、ふぐの神経毒の中毒症状について初めての詳細な記録を残しました。

 当時のヨーロッパには、毒を持つふぐはいなかったのです。

 

 日本では縄文遺跡からもふぐの骨が見つかるように、古代からふぐを食べていました。それを禁止したのが豊臣秀吉です。配下の武将がふぐを食べて亡くなったことから、全国に禁令を出しました。

 

 300年後、その禁令を解除したのが、山口県出身の初代総理大臣・伊藤博文です。

 日清戦争終結後、伊藤博文は清の全権・李鴻章と下関で会談します。場所は、老舗料亭の春帆楼です。ところが、折からの時化が長く、活きのよい魚が足らなくなります。困った春帆楼のおかみは、おそるおそるながら、ふぐ料理を振る舞ったということです。この味に感激して、山口と福岡の両県に限って、ふぐ禁令は解除されました。

 

 第二次大戦後に昭和天皇が山口県に行幸された際に、当時の田中龍夫知事が天皇にふぐ料理を食べていただこうと考えました。ところが、天皇の側近が頑なにこばんだために、天皇はふぐを食べることができません。それ以降、「ふぐを食べたい」というが、昭和天皇の口癖になったそうです。

 これがきっかけかどうかはわかりませんが、進駐軍のマッカーサー元帥が主導して、厳格なふぐ調理の免許制度が確立されます。このお蔭で、ふぐ料理は日本中で楽しまれるようになりました。

 

 免許を持った調理師の下でふぐ料理はつくられています。食中毒の発生もほぼありません。