明治日本の産業革命遺産(再考)

仕事で萩に行きましたら「祝:世界遺産認定」のノボリがいっぱいでした。

 

萩 反射炉
萩 反射炉

最後に隣国からの理不尽な混ぜ返しがあって、すっきりしないのですが、無事に認定されました。まぁ、忘れましょう。

 

改めて世界遺産としての価値について少し考えてみます。

 

2015年以降の日本が世界のなかでの地位を相対的に低下させていくことは避けられません。

人口でみれば、1950年に日本は世界の3.3%を占めて第5位でした。今は、世界の1.7%に下がっていて、2050年には1%を下回りそうです。

 

経済力でみれば、バブル全盛の1990年には日本のGDPは世界の8.5%を占めていました。今は、世界の6%に下がっていて、2050年には4%代と予想されています。

 

日本は陸地面積37万㎢と狭いのですが、排他的経済水域が世界6位の447万㎢もあるので海洋を含めると大国です。これも2050年にはかなり減っている可能性が高いです。

 

 

こんな状況で、日本が世界で埋没しない方法は、近代化のなかで築いてきた「ものづくり力」に磨きをかけていくことだと思います。

明治日本の産業遺産を観て感じるのは、単に西欧の物真似をしたのではなく、元々日本国内で持っていた固有技術を活かしたことで、世界の歴史に例のない急速な発展が達成されたということです。

このスピードが空前にして絶後のことなので、世界遺産なのだと思います。

 

明治の前、江戸時代は260年間続きましたが、この間に一度の内戦も起こっていません。実は、これも世界に一例もない稀有なことです。そして、この時代は原則として鎖国政策を取っていたわけです。そのなかで、ものづくりの技術やセンスが引き続き育まれていたことは驚きです。潜在的に日本では技術や製造を尊敬する思想が根付いていたのです。

 

また、明治になってからの西欧技術のキャッチアップ過程でも、技術の国産化⇒製品の普及⇒人材の育成というステップをきちんと踏んでいったことも日本に独特な感覚でした。日本以外でも他の先進国から技術を学ぶことは、もちろんあるのですが、このステップを速やかに踏んでいった例がありません。

 

日本に独特な感覚というのは、同じことが私たちが身近に知っている戦後の高度成長においてもあったからです。フォードに学んだトヨタは、生産技術を国産化し、国内に製品を普及させ、人材の育成を社是として取り組みました。パナソニックや日立も同じですし、インフラで言えば鉄道も電力も、医療分野でも同様な過程を通ってきました。

 

さて、2050年に向けて日本がどうあるべきか?

純粋なものづくりでは、追いかける対象が無くなってきています。つまり、明治と戦後の二度あった奇跡的な成長過程は不可能です。むしろ、世界の国々が日本の製造をキャッチアップする側です。

世界遺産となった産業遺構は、これからの時代のなかで、日本が先頭を走るために何が必要なのかを考える場所になると思います。