第一次世界大戦中の特許侵害訴訟「プロペラ同調機銃」

今から100年前、しかも戦争中に、知的財産権をまともに認めようとしていたのに驚きます。

 

第一次世界大戦(1914年6月~1918年11月)は植民地帝国のイギリス・フランスとドイツをはじめとする新興帝国主義国の戦争ですが、インドや中国などのアジアの従属国からも多くの人々が欧州戦線に参加しました。中東からアジアまでの広い地域を巻き込んだ、人類の歴史上初めての世界規模な戦争となりました。 

 

この戦争以前は、世界の軍事力の主力は「騎兵」でした。中国の春秋戦国時代からナポレオンまで、優秀な騎馬兵が勝敗を決していました。鉄砲など火器の威力はまだ限定的でした。

第一次大戦では機関銃やライフル銃が大きな威力を示します。ライフルとは、銃身内に切った螺旋の溝のことを言います。この溝によって、弾が届く距離が飛躍的に伸びたことから、大戦の主力は騎兵から機関銃やライフル銃を抱えた歩兵に移ったということです。また、鉄道が軍事物資の輸送に大きな働きをしたり、毒ガスや戦車などの新兵器が使われました。 

 

 

まだ性能は不十分ながら飛行機が兵器として登場してきたのは第一次大戦からです。

ライト兄弟が初飛行を成功させたのは第一次大戦の開戦(1914年)の10年ほど前、1903年のことです。第一次大戦当初は操縦席から銃を打ち合うという状況でしたが、フランスが最初に固定銃を備えた戦闘機を投入しました。これに対抗してドイツは、1915年に「プロペラ同調機銃」を装備したフォッカー戦闘機を使用して、英仏の飛行機を完膚なきまでに粉砕します。あまりの完敗に、イギリスメディアは「フォッカーの懲罰」と呼んだそうです。

 

注目技術は「プロペラ同調機銃」です。

当時の飛行機は単葉でプロペラが前方に一基あるのが主流だったので、プロペラを避けて銃を取り付けると、銃と操縦士が離れてしまって、狙いをつけにくくなります。そこで、銃を操縦席の前に取り付けながら、プロペラがある一定の位置になったときだけ引き金が引かれるような機能を世界で初めて取り入れたのがフォッカー戦闘機です。フォッカー戦闘機をつくったのはオランダ人のフォッカーがドイツで経営する会社です。オランダはこの戦争では中立国です。

 

ここで登場するのが、スイス人のシュナイダーという敵国フランスの航空会社に勤める技術者です。尚、スイスは中立国です。

このシュナイダーは、改選前の1913年に「プロペラ同調機銃」のアイディアをドイツで特許申請していました。機構の説明が無くて実際に作ることはできないアイディアなのですが、開戦直後の1914年7月にドイツはこれを特許として認めています。(もちろん、日本では特許としては認められるようなものではありません。)

 

シュナイダーが1916年にフォッカーを相手に特許侵害訴訟を起こすと、なんとドイツはこれも受理します。戦争が終わると、フォッカーはさっさとオランダに引き上げてしまいます。(フォッカー社の航空機としては、F27:フレンドシップというのが有名ですが、1996年に倒産しました。)

この特許訴訟は1926年に原告勝訴となって、フォッカーに15万ドイツマルク(今のお金だと3億円くらい)の賠償金支払いの命令が出ます。最終的には1933年にこの判断は覆るのですが、何となくドイツらしいエピソードだなぁと思いました。