ムダ取りして出来高を増やす・・鐘紡の生産革新(3)

経営管理論の教科書は、「科学的管理法」ではじまるのが普通です。

 

1911年に米国の経営コンサルタントであるF.W.テイラーが「科学的管理法の諸原理」という革新的な書物を出版しました。それまでの成り行き任せの経営を改めて、科学的に管理していくことを提唱しました。

 

科学的とは、➀時間・動作研究、②課業管理、➂職能化の原則 の3つを言います。

 

1911年当時の鐘紡では、科学的管理法に近いことを実行していました。上の3つで言えば、「労力を省いて職工の仕事を減らすくふう」「最も優れた方法を探して採用する」「最も効率的な組織運営」を、独自の方法でおこなっていたのです。

 

武藤は1912年に、鐘紡の全役職者に向けて、次のように指示を出しています。

「・・・紡績業そのものが既に『サンエンチフィックマネージメント』によるべき性質の事業なれば別に新規の方法とは認めざれども・・・今後一層機械並びに職工動作の『エフィエンシー』工場の方法を講じ職工と共に利益を増進したし、目下機械検査員及び工場経済調査員をして調べに従事せしめ居れば、・・・。別便送付する二小冊子『科学的経営法』『動作研究』は機械及び動作の効率増進法研究上多少参考と可相成り候に付き御熟読相成りたし。」

 

※ここで書かれている「機械検査員」「工場経済調査員」というのは、「鐘紡の糸」をつくるために各工場を巡回して標準化を進めるスーパーバイザーです。このとき新設したのではなく、従前から存在していました。

 

 

鐘紡は独自の『科学的操業法』を策定します。「無駄なる手間を省きて仕事の出来高を多くする仕組み」をつくり、第一は仕事の段取り、第二は仕事の規律、第三は疲労の軽減をめざし、「その成果は会社を利し、作業者に多くの賃金を支払う」としています。

 5年間を掛けて、1917年に完成した「標準動作の詳細なマニュアル」は鐘紡の全工場に徹底されただけでなく、すぐに日本の紡績業界全体に流れて浸透していきました。

 

これによって、日本の紡績業の生産性は飛躍的に高まります。1915年には、日米英の労働1時間当たり綿糸生産量はほぼ同じでしたが、1935年の日本の生産性は英国の2倍、米国の5割増しとなりました。 

 

テイラーの「科学的管理法」は、人事問題や既得権益の抵抗から、本国米国では容易には受け入れられませんでした。紡績業では、テイラーの弟子ガント(ガントチャートで有名です)が奮闘しますが、導入されて効果があがるのは1930年代になります。

テイラーは知らなかったでしょうが、最も有能な弟子は極東の地にいたわけです。

(続く)