本能寺の変 <喜びが油断につながり危機を招く>

今日の大河ドラマ「黒田官兵衛」は、”本能寺の変”前夜です。

 

江口洋介が演じる織田信長は、「我は世界を目指す」と自信満々です。自らが唯一の王であり、倒そうと考える者など、この世にはいるはずがないと考えています。

しかし、前回までの織田信長は傲慢でしたが、とても疑い深くて、慎重な人物でした。それが、茶会を開くために僅かな手勢しか連れずに本能寺に逗留しました。なぜ、急に人が変わったのかは描かれていません。

 

先週の番組の最後は、甲州征伐で最大の敵であった武田氏を滅ぼした後の論功行賞を行う諏訪法華寺(1582年3月29日)から、武田の残党・六角次郎を匿った恵林寺の快川和尚が焼き殺される(4月3日)ところで終わりました。その後、信長は甲斐に入って富士見物をした後に、徳川家康の案内で東海漫遊して安土に凱旋します(4月21日)。続いて、家康が安土に招かれて、光秀が接待役を務めます(5月15日)。

同じ日に、高松城の水攻めが功を奏した秀吉から、信長に中国征伐へ出陣の要請が届きます。信長は光秀の接待役を直ちに免じて中国出陣を命じ、自らはわずかの手勢で本能寺で軍勢の集結を待ちます(5月29日)。光秀が本能寺で信長の命を奪ったのは、6月2日のことです。

 

簡単に言えば、信長は武田氏を滅ぼしたことで、有頂天になったのです。喜びや満足が、身近に迫っている危険の存在を忘れさせました。あれだけ、慎重で残酷な信長でさえ、うっかりするのです。

勝負事は(会社の経営も同じです)、弱いものが必ず負けるわけではなく、強いものが負けるときもあります。しかし、リスク管理に劣るものが、リスク管理に優るものに勝つことはありません。

 

野村監督のよく言う「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」です。