ペルシャという名前を気に入らなかったイラン

イランとは、ペルシャです。ペルシャ猫とかペルシャ絨毯とか、高級感がありますから、ペルシャはイランよりちょっと素敵なイメージです。

 

ペルシャがイランへと国名を変更したのは1935年(昭和10年)のことです。実は、ペルシャという国名はヨーロッパ人(最初は古代ギリシア人)によって名付けられたものです。イラン平原西南の「ファルス(Perse)」という地方名に由来しています。つまり、ペルシャはペルシャ人が選択した国名ではなかったのですね。

 

ペルセポリス(世界遺産)
ペルセポリス(世界遺産)

そこで、国名を自ら決めようという動きが出てきました。歴史的にも地理的にもふさわしい国名として「イラン(Iran)」が選ばれました。イランとは「アーリア人(Ayirānem)の国」という意味です。

 

イランという国名は、誇り高きアーリア人にとってとても大切です。「アーリア」はサンスクリット語で「高貴な」という意味です。

 

イランと日本は伝統的に友好関係を維持して親密な関係を持っています。1878年(明治11年)に榎本武揚がペルシャ国王に謁見したのを端緒として、1880年に通商協定が結ばれました。1929年(昭和4年)に正式に外交関係が樹立され、1938年(昭和13年)にはイラン北部のカスピ海からペルシャ湾を結ぶ南北縦貫鉄道が日本の支援を受けて開通しました。翌1939年のイラン皇太子の成婚には日本から奉祝使節団が訪問しています。

 

第二次大戦でイランは連合国の一国となり、日本との国交は一旦は断絶します。しかし戦後には、イラン政府は1953年にサンフランシスコ条約批准前に日本との外交関係を再開し、1955年には戦前の修好条約の効力を回復させます。1957年には文化協定を締結するなど、交流を深めてきました。

イラン革命を経て、日本とイランの関係は少し遠ざかりましたが、第二次安倍政権下で安倍首相とイランのローハニ大統領の首脳間で急速に関係改善が進みました。