「ヨナ書」は、旧約聖書文書のひとつで、預言者ヨナと神様とのやりとりです。
旧約聖書ですからキリスト教とともにユダヤ教の正典(預言書)です。ヨナは怒り、神様はヨナが怒ることを惜しみます。何故、ヨナは怒ったのでしょうか? ヨナ書は、現在のイスラエルとパレスチナの問題に、大きな示唆を与えるものかもしれません。
神様が預言者ヨナに、「ニネベの街の人々に罪を悔い改めさせなさい。もしニナベの民が悔い改めなかったら、40日以内に街は滅びるだろう」と伝えます。
ヨナは、ニネベの民が悔い改めることはないと思って、別の街タルシシに向かう船に乗ります。ところが、強風と大波がこの船を襲います。
これは、船のなかに罪びとがいる証です。神様の言葉を守らなかったヨナこそが罪びとと知られたので、みんながヨナを海中に投げ入れます。すると、海はあっという間に穏やかになります。
海中でヨナは魚に飲み込まれて、三日三晩苦しみ続け、神様に許しを請います。神様はヨナを許して、改めてニナベの街に行くように命じます。
ニナベの街の人々は、ヨナの話を聞くと、熱い涙を流して悔い改めます。街が滅びることはありませんでした。
めでたし、めでたし。とは、ヨナ書はならないのです。
ヨナ書の主題はこの後です。
ニネベの人々が、ヨナの言葉を受け入れ、悔い改め、神が災いを下すことを止めたと知ったヨナは、大いに怒りだします。なぜヨナは怒ったのか?
大井バプテスト教会のwebサイトの「怒るヨナ、惜しむ神」から引用します。
ヨナの不平不満を要約すると「災いを思い直した、神の慈しみ深さが気に入らない」ようです。というのも、ヨナにとって異教徒であるニネベの人たちは「決して赦されてはいけない人々」だったからでしょう。
これは当時のユダヤ教徒の「常識的信仰」でもありました。選ばれし民である自分たちは神の慈しみを受けるが、異教徒のニネベの人々が神の慈しみを受けて救われることは「受け入れがたいこと」だったのです。
しかし、そのようなユダヤ教徒の「常識的信仰」に「ほんとうにそうだろうか?」と鋭い批判を向けているのが、この「ヨナ書」です。
「神は、異教徒たちを深く慈しみ、神に真に立ち帰ることを祈っておられる。神の慈しみはユダヤ教徒と異教徒の垣根を超えて豊かに注がれているのだ!」と。
怒り、へそを曲げ、座り込むヨナに、神はねんごろに語りかけます。「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか」。
さて、この神の問いかけにヨナは何と応えたのか。その反応を描くことなく「ヨナ書」は筆をおきます。まるで「あなたがヨナなら、なんと応えるか」と問いかけ、新約聖書のイエス・キリストにバトンを手渡していくかのようにして。