ちょっと昨日のブログに関連して、天神様といえば「通りゃんせ」です。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して くだしゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
![山口の天神さま 古熊神社](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=341x1024:format=jpg/path/sa3592213af7de219/image/i5ce7ec136095c54c/version/1708332637/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%81%95%E3%81%BE-%E5%8F%A4%E7%86%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
訳しますと
A)通りなさい 通りなさい
B)これはどこに続く細道ですか?
A)天神様に続く細道ですよ
B)それでは通していただけますか?
A)用が無ければ通すわけにはいきません
B)この子の七つ参りで
お札を納めに行きます
A)それではどうぞ お行きなさい
ここで「行きはよいよい 帰りはこわい」とちょっと訳がわからないフレーズが出てきます。
「七つのお祝い」は、七五三の七つ参りのことです。七つといっても、数え年ですから満5歳に当たります。
当時の多くの子どもは、新生児から5歳になる頃までに亡くなっていました。そこで、5歳までは神のうち。5歳を過ぎるとようやく人の子になると考えられたわけです。
天神様に、この子は無事に人の子になりましたとお礼に伺うので、行きはよいよいです。しかし、人の子として細道を戻っていく子には、通俗的ですが将来の多くの苦労が待っています。自立して生きていかなくてはならないので、帰りは怖いのです。【諸説あります】
尚、通りゃんせのメロディーは、大正期に作曲家本居長世がアレンジしたものだそうで、江戸時代のわらべ唄のものとは違うそうです。また、「こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」という最後のフレーズも、同じく大正期に追加されたもので、それまでは無かったということです。
写真は、山口の天神様・古熊神社です。祭神は菅原道真公とその息子の福部童子です。
道真公が大宰府に左遷されたときには、まだ幼かった福部童子は京に残りました。御年10歳となった福部童子は、父の道真公を慕って大宰府へと向かいます。ところが、その途中で疫病に罹り、ついに山口の地で亡くなりました。このとき、山口の人々は童子にことを不憫に思い、手厚く葬ったということです。というわけで、山口の天神様には親子で祀られています。
天神様を巡りに・・おいでませ 山口へ