目からうろこと鏡のうろこ

年末のお掃除用グッズを紹介するなかで、鏡うろこ落としクリーナーなるものがありました。

 

鏡に”うろこ”・・って、実はこの言葉を知りませんでした。バスルームの鏡に付着した水アカ(水道水中のカルシウムなどのミネラル分)と石鹸カス(石鹸に使われる脂肪酸とミネラルが反応してできる)が積ったものを、鏡のうろこというのだそうです。「なるほど」ですが、結構多くの商品があるようで、こんなに需要があるとは驚きました。例として、webサイトリンクしておきます。☞ 【2022年】鏡用ウロコ落としのおすすめ人気ランキング21選

 

鏡のうろこ
鏡のうろこ

この”鏡のうろこ”という言い方は、誰がいつから使い始めたのでしょうか?バスルームに鏡が置かれるようになったのは、それほど昔ではないので、近年の発明なんでしょうね?

 

広辞苑で「うろこ」を調べてみます。

 

うろこ【鱗】(古くは「いろこ」)

①生物、特に魚類・爬虫類の体表面を覆う固い小薄片。その起源・形態はさまざまで、蝶の類の翅ではキチン質の分泌物、魚類では真皮より形成される皮骨、爬虫類以上の高等動物では真皮の上に角質となった表皮。〈日葡辞書〉

②「うろこ形」の略。また、三角の符牒。浮世床初「稽古本の所所へ、〇まるいものや△うろこや、いろいろな切つかけをして」

③紋所の名。鱗形をかたどったもの。→三鱗みつうろこ。

④頭のふけ。

⑤(鱗形の模様の衣装をつけた鬼女に因む)妻の罵称。

 

次にweb国語辞典で調べてみました。

うろこ‐よごれ【×鱗汚れ】 

浴室の鏡や金属部品、自動車の窓などに付着する、水あかによる汚れ。

 

なるほど、自動車の窓などの汚れも”うろこ”なんですね。「目からうろこ」です。

 

ところで、「目からうろこ」の語源は聖書の「使徒行伝」第9章です。

イエスの弟子たちを迫害していたサウロ(パウロ)が回心してイエスを信じるものになるエピソードです。素朴に読むと、手先(弟子)を使った暴力的行為(3日間目隠しをして飲まず食わず)によって、マインドコントロールを受けたようにも思えます。

 

【使徒行伝第9章】

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

 

ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

 

そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。

 

サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。

 

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。

 

彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。

 

しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

 

そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

 

するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマ(洗礼)を受け、また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。