あぼきゃ べいろしゃのう・・何のことかな?

真言宗の法要では、光明真言という呪文を唱えます。

 

「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と唱えます。漢字で書くと「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麼抳 鉢納麼 鉢囉韈哆耶 吽」となります。何を言っているのかな? よっぽど難しいことを言っているのだろうなぁ、と思っていたら意外にそうでもありませんでした。

 

写真は、平安時代前期の9世紀中頃に制作された京都・安祥寺の木造五智如来像です。2019年に重要文化財から国宝に格上げされました。中央が大日如来、向かって左から不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来、阿閦如来の五仏です。

 

真言密教の本尊である大日如来を中心に置いて、まわりに四仏を配します。四仏はそれぞれ東西南北を担当し、大日如来が備え持つ五種の智恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を分担します。

 

光明真言で最初の「おん」は景気づけで意味はありません。その続きは、五仏の名前です。「あぼきゃ」は不空成就如来、「べいろしゃのう」は大日如来、「まかぼだら」は阿閦如来、「まに」は宝生如来、「はんどま」は阿弥陀如来のことです。

 

「じんばら はらばりたや」が主題で、”光明を放ちたまえ”と言う意味です。

最後の「うん」は締めの音で、意味はないようです。

 

光明真言はお葬式や年回忌の法要で唱えられます。光明を放つというのは、死者の魂を西方極楽浄土へ導くという意味のようです。

 

少し乱暴に言えば、光明真言は、浄土真宗などの「南無阿弥陀仏」のお念仏と同じことなんです。”なむあみだぶつ”では、五仏の阿弥陀如来さんだけにお願いしているのですが、少々時代が遡って真言宗では五仏にお願いしています。お願い事をするなら、たくさんの仏さんにしておいた方が間違いがないでしょうか?それとも、たくさんにすると仏さんの責任感が薄れるということもあるでしょうか?

 

その後、時代が下ると、光明真言も南無阿弥陀仏も、死者の魂だけではなく、現世の禍も取り除いてくれることを期待されるようになったようです。まぁ、死んでからのことは誰にもわからないので、当然と言えば当然です・

 

聖徳太子の時代の伝来仏教はともかく、平安時代の真言宗・天台宗、鎌倉時代の浄土宗・浄土真宗などの日本仏教では大衆を救うという考え方が定着したようです。