防人(さきもり)たちは、故郷に帰りたい

日露戦争を題材にした「二百三高地」という昔の映画では、予備役で徴兵された民間人の苦しみや悲しみが一つのテーマになっています。

 

この映画の主題曲は、さだまさしの「防人の歌」です。音楽監督の山本直純がさだに直接依頼したそうです。戦争に翻弄される普通の生活人の小さな営みを浮き彫りにするような歌をつくって欲しいと頼みました。このとき、さだまさしはまだ27歳。「関白宣言」で一世を風靡した翌年のことです。

 

防人
防人

♩おしえてください

この世に生きとし生けるものの

すべての生命に限りがあるのならば

海は死にますか 山は死にますか

風はどうですか 空もそうですか

おしえてください♬

 

さだまさしの防人の歌には本歌があります。

万葉集第16巻にある「いさなとり うみやしにする やまやしにする しぬれこそ うみはしほひて やまはかれすれ」という歌で、意味は、「(いさなとりは枕詞)海は死にます、山は死にます、死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです」。

 

現存する日本最古の和歌集である万葉集ですが、多くの防人の歌が掲載されています。万葉集Naviで「防人」を検索すると118首がヒットしました。

 

当時、日本とつながりの深かった朝鮮半島の国・百済が、唐と新羅の連合軍によって攻め込まれました。百済からの救援の要請に、当時68歳と超高齢だった斉明天皇(女帝です、この旅の途中で亡くなる)をはじめとする皇族を中心にした救援軍が出発します。その総数は3万2千人余り。その頃の日本全部の人口は450万人で、男性は200万人に達していなかったのです。しかも、海を渡ってのことですから、まさに日本の国運を掛けた大軍事行動でした。

 

しかし、百済と日本の連合軍は白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍にあっけなく惨敗します。百済は完全に滅び、日本軍は敗走します。こうなると、勢いに乗った唐と新羅が日本へ侵攻してくるかも知れません。まさに国家存亡の危機です。

朝廷は西国の拠点である大宰府を防衛するため、大急ぎで筑紫・壱岐・対馬に水城を設置し、防人を配置していきます。全国から徴兵された常時7万人を超える男子が、防人として九州で祖国防衛の任につきました。

 

万葉集にある防人の歌は妻や母、子どもなど家族との別れを歌うものが多いです。

シンプルな歌を一つ紹介すると、「さきもりに たちしあさけの かなとでに たばなれをしみ なきしこらはも」(意味:防人として出発する朝明けの門を出るとき、つないだ手を離すのを惜しんで泣いたあの子は)

 

さて、このブログでは2回目の紹介です。ウクライナ出身のナターシャ・グジーさんの歌う「防人の歌」です。辛い思いをしている兵士たちと家族が、今もたくさんいます。