一日早い、ウクライナの解放記念日

ロシア以外では今日(5月8日)がドイツが降伏した「解放記念日」です。明日(5月9日)は、ロシア(旧ソ連)の「戦勝記念日」です。

 

ウクライナのゼレンスキー大統領が、今日「解放記念日」の演説をしました。ロシアでは明日戦勝記念日のパレードが開催され、その場でプーチン大統領がどんなスピーチをするのか、注目を集めています。もしかしたら、ウクライナと西側諸国に対して戦争を宣言したり、核兵器の使用について触れるのではないかとも推測されています。

  

ロシアの戦勝記念日(リハーサル)
ロシアの戦勝記念日(リハーサル)

ウクライナとロシアで、戦勝記念日が異なっていたのですね?

 

ドイツがアメリカ・イギリス連合国軍に対して降伏文書に調印したのは1945年5月7日ですが、この休戦が有効になったのが5月8日0時なので、ソ連以外ではこの日を終戦記念日(「解放記念日」)とします。

 

一方で、ドイツがソ連軍に対して降伏文書に調印したのが翌日の5月9日なので、ロシアでは1日遅れで5月9日が戦勝記念日になっています。

 

第二次大戦からの歴史をざっとおさらいします。1924年にレーニンが亡くなり、スターリンの独裁がはじまり、1928年から5か年計画がはじまります。5か年計画で生産性が低下したソ連は資金確保のために農民から輸出用穀物を強制的に集めます。この結果、1932年・33年にはウクライナで数百万人の餓死者が出ました。

 

スターリンは独裁から個人崇拝を国民に強制するようになり、粛清の続く恐怖政治がおこなわれます。ドイツでヒトラーが台頭すると、スターリンはドイツと不可侵条約を結び、ポーランドの東半分を手にします。このときにポーランドで反ソ連住民を虐殺したことで、ポーランドの嫌ソ連の意識が確定します。さらに、1939年にスターリンはフィンランドに侵攻します。国際連盟は侵略戦争をおこなったソ連を除名します。

 

1941年に突然ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、あっという間にモスクワ近郊にまで迫ります。スターリンの恐怖政治に苦しんでいたソ連国民は、ドイツという新たな目標ができて結束します。ソ連は大きな損害(民間人を含む戦争犠牲者は2660万人とされている。これはドイツの約3倍に当たる。)を出しながらも、ドイツ軍を押し返します。

 

ドイツ軍は主力をソ連との戦いに投入して、背後が手薄になりました。1944年に連合国軍がノルマンディー上陸を果たし、ドイツ軍は敗走を余儀なくされ、1945年5月にベルリンが陥落します。ベルリン陥落後、ソ連軍がドイツ人に対しておこなった報復の惨さは忘れられません。ウクライナが命を賭けてロシアと戦っている背景です。

 

ソ連はドイツとの戦争に集中するため、日本は太平洋戦争に集中するために、日ソは中立条約を結んでいました。ドイツ戦が終わった後、1945年8月8日にソ連は条約を破棄して日本に宣戦布告します。

その1週間後、8月15日に日本は降伏するのですが、ソ連は戦闘を続けて9月5日に北方領土の歯舞群島まで占拠します。その後、ソ連は、60~80万人の日本人(軍人も民間人も男性も女性も)をシベリアに抑留して強制労働につかせます。アメリカの研究者は34万人の日本人がシベリアで亡くなったと推定しています。

 

恐ろしいことです。