健康で文化的な生活を取り戻したい

「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」WHOによる定義です。

 

日本国憲法第二十五条1項 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 つまり、肉体的に良好+精神的に良好+社会的に良好+文化的に満足な生活を疾病や病弱がない状態で送ることが理想のようです。

 

健康で文化的な最低限度の生活
健康で文化的な最低限度の生活

2年近く続いているコロナ騒動では、人流抑制とか自宅隔離をはじめとする政策がとられました。試験段階のワクチン接種の奨励もおこなわれました。

これらの措置は、国民の健康を、肉体的にも精神的にも社会的にも損ないました。そのうえで、多くの文化や伝統を地域や住民から奪いました。

結果として、日本では超過死亡が増加しており、健康だけでなく生命そのものが失われる状況になっています。

 

WHOの定義は「疾病又は病弱」がないことを健康の前提にしています。しかし、「一病息災」といった言葉もありますし、障害者でも健康で文化的な生活を送っている人はたくさんおられます。

どんな病気にも絶対になってはいけないと考えることはないはずです。

 

もちろん、致死率が非常に高い感染症に罹ることを避けるのは当然です。また、重篤な障害が続く遺伝病などを避けることができるようになったので避けるという考え方も、一部にはあるでしょう。しかし、新型コロナ感染症は、そういった対象にはなりそうもありません。

 

「リスクの大きさ=重大性+可能性+頻度」がリスクアセスメントの公式です。新型コロナと季節性インフルエンザを比較して、仮に重大性(致死率)が新型コロナが数倍であったとしても、可能性や頻度(感染性)は1/10以下~季節性インフルは4ヵ月で3000万人が罹る~です。

 

感染性も低く、病原性も大して強くなく、文字通り健康な(肉体的にも精神的にも社会的にもです)人には怖くない新型コロナウイルスを、無理矢理に過度に恐れさせることはないわけです。ましてや効果が期待外れで、且つ予想以上にリスクの高かったワクチンを何度も国民に打つ必要はどこにもありません。引っ込みがつかないということなんでしょうが、いい加減に真っ当な路線に戻さないと、たいへんなことになりそうです。