9.11から20年。テロと戦ったことの罪

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、アメリカが、世界が(もちろん日本も)大きく変わるきっかけになりました。

 

2002年9月20日に、ブッシュ(子)大統領が「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」を作成しました。これによって、テロとの戦争においては自衛のために先制攻撃をすること(予防的戦争)は正当であり、国連の集団安全保障の原則によって安全を守るのではなく、国家単独又は集団的自衛権の行使も認められるようになりました。

 

ブッシュ(子)大統領
ブッシュ(子)大統領

2001年以前のアメリカは国連を中心とした多国間の協力によって安全を保障するという多国間行動主義の原則を有していました。9.11によって、これを覆して、単独行動主義をとると宣言しているわけです。

これは、新保守主義の旧来の主張でしたが、戦後の冷戦下では認めらないものでした。言葉は悪いですが、9.11の犠牲を利用してこの主張を通したわけです。

 

当然ながら、アメリカが単独行動主義をとるのであれば、中国もロシアもこれに追随していけないことはないということになります。これが、その後の中東地域をはじめとする世界の混乱、さらに日本周辺有事の危険の増大などの原因となっています。

 

特に、イラク・イランとともに「悪の枢軸」と名指しされた北朝鮮は先制攻撃の対象になるかも知れませんから、これに対抗するために核武装や弾道ミサイル開発に突き進みました。日本にとっては迷惑です。

 

実際、既に多くの国が事実上の核兵器を保有するか、保有する能力を持っています。生物兵器や化学兵器(オウム真理教が使ったサリンなど)といった大量殺りくが可能な兵器も同様にたいていの国で保有可能です。

その背景があっての「予防的な先制攻撃」つまり宣戦布告の正当化です。攻撃された側は、当然反撃をしてきます。反撃には反撃と繰り返されるわけで、第三次大戦の危険が高まっていることは確かです。

 

アフガニスタン撤退でバイデン大統領が、アメリカは自国を守る気概を示さないアフガニスタン政府を援けないと言ったのも象徴的です。世界の国々は、自国を自ら守らなければならなくなっています。日本での有事法制の成立も根は9.11にあります。

 

「テロとの戦い」は「正義」の戦いです。しかし、「正義」は一つではありません。アメリカにアメリカの正義があるように、中国には中国、ロシアにはロシア、北朝鮮には北朝鮮、タリバンにはタリバンの正義があるわけです。本来アメリカは、テロとの戦いではなく、国際秩序の維持を掲げるべきだったわけです。しかし、既に時代の逆転は難しくなっています。

 

いまや、ワイドショーのMCやコメンテーターなどが「コロナとの戦い」に挑む時代になっています。反米リベラルを標榜しているような人たちも、戦いには熱くなるようです。

もちろん、ウイルスと戦うは間違いです。