釜山の夜のブルーライトヨコハマ

1980年代、韓国では日本大衆文化の流入規制が比較的厳格に行われていました。

 

韓国で日本の大衆文化が解放されるのは、1998年に漫画、1999年に映画、2000年にゲームソフト、2004年にようやく音楽(CD・テープ・レコード)です。初めて韓国に行った1980年代は、公式には、韓国で日本の歌謡曲は禁止されているはずでした。しかし、釜山の街では、どの店からもブルーライトヨコハマ♬を歌う音が漏れてきました。

 

ブルーライトヨコハマ(いしだあゆみ)
ブルーライトヨコハマ(いしだあゆみ)

ブルー・ライト・ヨコハマは、1968年に発売されています。もちろん知ってはいますが、子供だったので、私にとっても懐メロの範疇です。

その歌が、韓国でこれだけ人気になっているのは何故か?と大いに気なったことを覚えています。

 

筒美京平さんという、作曲家が10月7日に亡くなり、追悼番組をやっていました。

そのなかで、ブルーライトヨコハマが筒美京平さんの初期の作品で、初めてのランキングトップ、ミリオンセラーを記録した曲だと知りました。

 

作詞は、筒美京平さんの青山学院の高校・大学で1年先輩だった橋本淳さん。言葉は悪いですが、それまで売れない歌手だった、いしだあゆみさんの26曲目のシングルでした。

当時の日本でも、衝撃的な楽曲だったのだろうと思います。日本のポップスの歴史を塗り替えたということです。

 

ちなみに、橋本淳さんから「いしだあゆみの新曲の詞ができた。明日、レコーディングだから曲を持ってこい」という電話が入って、筒美京平さんが1日で作曲した。というのは、都市伝説だそうです。実際は、作曲はずっと前に終わっていました。実際は、レコーディングが明日という連絡を聞いて、アレンジを1日でおこなったということです。まぁ、それでも凄いことなんですね。

 

筒美京平さんが作曲した楽曲の総売り上げ枚数は7600万枚。これは日本一だそうです。稀有な才能を持った人ですが、裏方に徹して、あまり表に出てこられなかったようです。

 

結局のところ、釜山の夜のブルーライトヨコハマの理由はよくわかりません。

まぁ、同じように、1972年に発表されたチョーヨンピルさんの「釜山港へ帰れ」が、1980年代の日本で大流行したというのも、ちょっと不思議です。まぁ、日本と韓国の人の感性は、ちょっと違って、ちょっと似ていたということなんでしょう。