慰霊の日を静かに迎えればよいのだが・・

74回目の終戦記念日です。原爆忌も同じですが、静かに慰霊だけをする日にしたいものです。

 

私たちが子供の頃には、戦争で負傷した傷痍軍人という人が街に結構いました。手や足が無いのでわかります。小中高校では被爆者の先生が何度か担任になりました。顔に痕がある先生もいれば、頭髪が少ない女の先生もいました。広島も長崎も師範学校があったので、学生時代の被爆です。

 

忠魂碑
小学校の忠魂碑

小中高と8月6日の原爆の日は登校日でした。被爆当時に学生で20歳だった先生が50歳前後になっていました。戦争はまだ身近でした。そもそも、私の年代では祖父が戦争で亡くなっています。親はどちらも片親で、父親の顔をしっかりとは知りません。原爆の日も終戦記念日も、純粋に慰霊の日だったらいいのになぁと思います。

 

原爆の日には、広島と長崎の市長が平和宣言だとか称して御託を並べます。被爆地の市長というだけで、核軍縮を語る能力も責任もありません。長崎はよく知らないのですが、歴代の広島市長には行政能力の不足が目立ちます。

国際政治を持ち出されても、騒々しくなるだけで、原爆で亡くなった人が浮かばれるわけはないのです。広島市長は市民を代表して、ただ犠牲者を慰霊をし、遺族を慰労してくれればいいのにと思いました。

 

終戦の日に際しても、大変不遜ですが天皇陛下に反省を述べていただくことはないと思います。陛下には、戦没者を心から追悼していただけることが大事です。

 

この頃の日韓関係の動向をみて、朝鮮と中国のことは丁寧な無視が一番いいような気がしてきました。何かと相手をするから、調子に乗ってくるのです。丁寧に無視をすれば、だんだん難癖をつけてこなくなるように思います。

 

日本軍による慰安婦の強制連行が少しあったのは事実のようです。但し、数は無茶苦茶に誇張されています。大戦末期に慰安婦が20万人もいたのなら、いったい日本軍とはどんな規模だったのでしょうか。もし本当なら、日本が負けるわけないです。

一方で、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争で韓国軍が時刻を含めた連合国軍のために慰安婦を組織した事実は明らかです。ベトナム戦争終結後も韓国では慰安婦制度がありましたが、これは何故問題ではないのだろうかと思います。

 

徴用工問題でも、あなたたちは生きているではないか、と言いたい気持ちがあります。戦争末期に徴兵されて戦地に赴いた日本人労働者の代わりとして徴用があったのは事実です。労働が過酷であったのもそうですが、日本人と同じ待遇で働き、賃金を得て、生き残った人ではないかと思います。徴兵された日本人の多くは戦地で亡くなっているわけです。

 

第二次世界大戦につながる戦争で朝鮮人の犠牲者は軍人も民間人も多くありません。数の問題ではないと言われればそうですが、明治以降の朝鮮半島への日本の介入は再評価されてもいいと思います。尚、中国では戦後50年も経ってから日本軍による犠牲者が3500万人に10倍以上に増えました。南京市で30万人が虐殺されたとか・・。白髪三千丈の世界です。

 

一方で、変わらないのは日本の戦争犠牲者が軍人・民間合わせて約310万人であるということです。310万人にはそれぞれ確実に親がおり、多くの場合は配偶者があり、子供がいたわけです。終戦の日には310万の戦争犠牲者の慰霊と、遺族への慰労を静かにするべきでしょう。

 

戦争で息子を失った親たちが、天皇陛下(昭和天皇ですが)に靖国神社に来て欲しいとずっと願っていたことは素直なことだと思います。今では、靖国神社へは首相はもとより、自らが遺族でもある閣僚ですら行くことができません。

 

この問題に関しては、朝鮮と中国の行動は、はやりのあおり運転のクルマのようなものです。今日の韓国大統領の様子を見るにつけ、窓を閉め、ドアロックをして、決して相手にしないで、丁寧な無視を貫いていくことが最善だと思いました。