山頭火の魅力・・俳諧のおかしみ

昨日の続きですが、江戸時代の井原西鶴は浮世草子作家よりも俳諧師として有名でした。

 

日本の古代の短詩を和歌といいます。短歌(五七五七七)が最も有名です。長歌(五七・五七・五七・・・五七七)、旋頭歌(五七七五七七)などもあります。短歌から連歌が派生します。一人目が五七五を詠み、二人目が七七を詠んで短歌一つが完成します。三人目は二人目の七七に合うように五七五を詠んで二つ目の短歌が完成です。これを延々と繰り返します。

 

種田山頭火の肖像写真
種田山頭火の肖像写真

最初の頃、連歌には厳しいルールがありました。

使用する言葉は雅語に限り、三大集(万葉集・古今和歌集・新古今和歌集)やら、三代集(古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集)から出てはいけないということです。連歌を知的ゲームとすれば、ルールがあるのは当然ですが、楽しめる人は限られます。

 

そこで、俳諧の連歌が産まれます。俳諧は、滑稽とか機知とかの意味です。もっと自由な連歌です。

この俳諧の連歌の発句が独立したのが俳句ですが、松尾芭蕉や井原西鶴がつくっていたのは、あくまで俳諧の連歌の発句です。俳句として独立した文芸にしたのは、明治になって正岡子規によるものです。

 

俳句はルールを破った滑稽味から発したものですが、やはりルールがあります。五七五の定型もそうですが、季語を入れなければなりません。他にも、プレバトの夏井先生の解説にあるように、三段切れは避けるとか、切れ字がどうとか、縦に続けて書くからどうとか、いろいろな作法があります。

 

そういうしがらみから全く離れた自由律の俳句というものがあります。その代表として、山口県防府市出身の種田山頭火がいます。山頭火の人となりは次回に譲るとして、山口県内の句碑を巡って少し紹介します。

 

生誕地(防府市八王子)にあるのが「うまれた家はあとかたもないほうたる」です。JR防府駅前にある「ふるさとの水をのみ水をあび」、防府天神アスピラート前の「ふるさとや少年の口笛とあとやさき」は目にすることが多いです。

 

防府市内の駐車場にあるのが有名な「分け入っても分け入っても青い山」。母校の松崎小学校にある「ふるさとの学校のからたちの花」や、実家の種田酒造の跡にある「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」も訪ねてみましょう。

 

山口市に移ると、新幹線JR新山口駅前にある「まったく雲がない傘をぬぎ」は銅像とともに見た人は多いでしょう。湯田温泉の高田公園には、何故かたくさんの人が見に来る「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」があります。仁保の犬鳴滝にある「分け入れば水音」は山頭火の代表作の一つです。

 

下関市では、唐戸市場に「あんな船の大きな汽笛だった」があり、川棚温泉には「湧いてあふれる中にねている」という句碑が複数あります。

山頭火の句碑は、山口県内に200くらいあるそうです。全国には東北から九州まで1000ほどあるとのこと。

 

山頭火は昭和15年10月11日、58歳のときに松山市の「一草庵」で亡くなります。辞世の句が何かは議論があるようですが、「もりもり盛りあがる雲へ歩む」が飄々と雲に向かって歩き続ける山頭火のイメージに合います。 

 

おいでませ、山口へ!