安倍首相の地元は半島由来の地?

安倍首相は東京生まれですが、父の晋太郎元外相までは山口県日置町で生まれ育ちました。

 

日置町は「へきちょう」と読みます。日置は「ひおき」と読むことも多いのですが、「へき」という読み方も各地に残ります。日置という地名は、古代から北陸・信州から中部・機内、中国・九州にまで各地に分布しており、現在でも25カ所ほどが残っています。鹿児島県には日置市(ひおきし)という市があります。

 

長門市元乃隅稲成神社
長門市元乃隅稲成神社

山口県の日置町は長門市と合併したので、現在はありません。趣のある地名ですから、ちょっと残念です。

 

日置町について書こうと思ったきっかけは、Yahoo!の記事です。韓国のニュースサイトが、”桓武天皇の生母が「百済の武寧王の子孫」…明仁上皇、普段から韓国に親近感”という記事を載せていました。

韓国に所縁のある天皇は親韓である。これに反して安倍首相は韓国の敵(反韓か嫌韓か知りませんが)だという論調のようです。そんなことはまるで無いのですが・・?

 

桓武天皇は天平9年(737年)に生まれ、天応元年(781年)に第50代の天皇になられました。百済の武寧王は462年に生まれ502年に百済王になったとされ、523年に亡くなっています。武寧王の没年と桓武天皇の生年には215年の間隔があるので、ちょっと怪しいです。

 

それを言うなら、安倍首相の地元である日置という地名にまつわる話の方がよさそうです。

各地に日置という地名や名字が残っているのは、大和朝廷がその地に日置部という豪族を住まわせたからです。残っている25カ所の地名は、多くが奈良から離れた辺境の地にある半島(能登半島から薩摩半島まで)や大きな平野のある場所です。

 

日置部という豪族は、当時では最新の天文学や気象学の知識を持った半島からの渡来人の一族だったようです。この技術を持ったエリートたちを各地に配置することで、大和朝廷は各地の天文や気象に関するデータを収集していきます。

そして、日置部は天文をみるだけでなく暦をつくる技術者でもありました。

さらに、日置部の一族は、火置でもあり、灯火に用いる油の製造や蝋燭つくりも手掛けたということです。これらの地では「消えずの火」を灯して、太陽神を祀ったとも言われます。

 

防長2国の太守であった大内氏は、百済の聖王の第3王子・琳聖太子の後裔と称していました。多くの山口県民は朝鮮半島への親近感を持っています。

是非、日韓関係を改善するというか、あまり混ぜ返さないことを韓国政権には求めたいところです。

尚、日置の由来には諸説あります。