もし・・であるならば、許しがたい

ワイドショーなどでよくある言い方なんですが、とても不愉快な気持ちになります。

 

いろいろな不祥事とか問題を起こしたかもしれない有名人に対して、芸人さんやコメンテーターと紹介される何かの専門家さんが盛んに使うフレーズです。「もし・・であるならば、許されないことですね」更に極端なのは「本人は否定しているので、真偽はわからないが、もし・・ということならば、○○(社会的に抹殺するという意味のことば)です。」

 

小舟
小舟(本文とは関係ありません)

最近ではハラスメントというものを極端に嫌い、排除するようになっています。あまり細かいことや、これまでの社会常識からかけ離れたような潔癖を求めることはどうかと思っています。

これは、多くの人が気にしていることかもしれません。その一つの結果が、暴言で辞任した明石市長が再選で圧倒的信任を得たことで表されているようです。

 

一方で、ハラスメント以上に酷いことを平気でするのが、テレビや週刊誌などのマスコミと思います。先の仮定話法での批判は、あまりにも残酷で暴力的です。

 

「もし・・であるならば」と前置きをすれば、どんな酷いことを言っても許されるという風潮は危険でしょう。後になって「・・でなかったのだから」それでよいと言われてもどうしようもありません。

言われた方やその家族・関係者は、その時点で社会的に大きなダメージを受けます。事実が後になって明らかになったとしても、一度受けたダメージを回復させることはできません。

人の噂も七十五日。そのときには、話した側は言ったことさえ忘れているでしょうし、どんなに悔しくても、謝罪を受けたり、名誉を回復できるチャンスはありません。

 

マスコミでこんなことが行われている背景には、それをしゃべっている人のことを聴いている方(読んでいる方)が本当には信用していないからです。

芸人さんやコメンテーターさんが、本物の理性は持っていないだろうなぁと世間は薄っすらと認識しているのです。週刊誌などは、デマを書くものだと知っているのです。

だから、まぁこいつらが言うのだから、いい加減なことでもしょうがないと、変な話ですが容認するのです。

 

最近は、同じような仮定話法を多用する政治家(政治屋?)や新聞記者の方もいるのですが、この手法が蔓延するのが気になって仕方ないのです。