なんでもかんでも「平成最後の・・」というのが決まり文句になっています。
次の元号には何がいいだろうかという話になりました。ある人が「面倒だからくじ引きで決めたらいいのでは?」と言い出しました。もちろんくじ引きで決めるのも”あり”です。だって、明治という元号はくじ引きで決められたのです。
平成は元号法という法律に基づいて決まりました。元号法には「元号は政令で定める」とだけあります。つまり、政令ですから、そのときの内閣が定めるということです。
平成のときの元号決定の手順は、学者さんがつくった複数の案から、民間の有識者懇談会で3つの案(「平成」「修文」「正化」)に絞り込みました。これを国民の代表として衆参両院の正副議長の意見を聞いたうえで、臨時閣議で決定したという流れです。
ときの内閣は、竹下昇内閣で官房長官がご存知「平成おじさん」こと小渕恵三(後の総理大臣)です。
元号法は戦後の法律ですから、それ以前の元号は内閣ではなく天皇が決めていたというのが表向きです。
しかし、昭和のときも内閣が元号案を絞り込み、審査委員会で昭和と決めてから昭和天皇の裁可を得たということです。大正もほぼ同じ流れで、枢密顧問の合議で大正と決めた後に大正天皇に提案されています。事実上はときの内閣が(というか、内閣が依頼した有識者たちが)決めていたというわけです。
明治まで遡ると、少し面白くなります。もちろん内閣という組織自体が無いわけです。明治という元号は、越前藩の藩主だった松平慶永らが複数の案を出して、明治天皇自らがくじ引きして決めたということです。
明治より前(慶応以前)は、元号は一世一元ではないので、頻繁に変わっていました。これらの元号は徳川幕府が天皇に奏上していました。元号は人心を一新するという目的で改められることが多かったわけで、天皇制と密接に関わっていたというわけでもないのかも知れません。