テキは本能寺にあり?的な言い方

〇〇的という表現が増えています。私も知らず知らずに多用しています。

 

本質はとても曖昧なものなのが、○○的▲▲と表現するとあたかもしっかりしたもののように錯覚されることがあります。逆に、しっかり言い切るべきことを、自信無さそうに逃げるときにも使われます。便利な表現ですが、ちょっと注意が必要です。

 

的(Wikipediaから)
的(Wikipediaから)

本来の「的」は、弓矢を射るときのめあて、まとのことです。左の白は、本来は白では無くて「日」で太陽のことです。右の勺(しゃく)は尺貫法の単位でもありますが、掬い取る道具です。多くのもののなかから、目立たせるものということです。

 

的を名詞の後につけて○○的とすると、「~のような」「~の性質の」「~についての」「~に関する」等の意味になります。

名詞を修飾するのが形容詞です。狭義には、美しい・大きい・冷たい・新しい・楽しい・白い、などのイ形容詞のことを言います。

これに対して、静かな・きれいな・すてきな・親切な・元気な・便利な、などのナ形容詞があります。このナ形容詞では、名詞の後ろに”な”という助詞をつけたものともいえます。

イ形容詞の数は限られるので名詞を修飾するときに、ナ形容詞のように名詞の後に的をつける言い方が増えたようです。

 

「継続的改善」というのは「継続する性質の改善」といった意味ですが、全部が漢字で表記されると何だかかっちりした印象です。「継続的な改善」というと、少し曖昧でぼかしたような印象があります。

 

「改善を継続する」と言い切らないで「継続的な改善」というのは、何故かと言うとISOなどの「継続的改善」には、(監視をおこなったうえでの)現状維持も含まれているのです。

つまり、改善することはできないが、放っておくと悪化するかも知れないとか、見落としがあるかも知れない事項があるとします。それを監視して悪化させないことも「継続的な改善」の一つです。意味は同じです。

 

「独創的発明」と「独創的な発明」で印象が違うでしょうか? 「独創的な」といわれると、全く最初から最後までがオリジナルというイメージが無くなるような気がします。どこか一部に「独創」が含まれているから、全体として独創的ということでしょうか。

 

「基本的な」とか「根本的な」というのも、その後に実はそうでないことを記述する場合の前振りみたいな感じです。「楽観的に考えると」か「悲観的に準備する」といったときも、心配だから楽観的ですし、大丈夫だろうと信じているから悲観的です。

 

「自分的には」という表現が物議を醸したこともあります。同じような言葉「個人的には」もあります。自分自身が現実経験で確かめたことというわけではなく、確証がないことを話す印象です。

 

○○的という言い方は、ちょっと格調高くするとか、少し曖昧にするとか、文章のボリュームを縮小させるとか、いろいろな効果はありますが、あまりに多用してはならないようです。

 

「テキ(敵)は本能寺にあり」は明智光秀が織田信長に謀反した際の有名なことばです。「別の目的のために本来の目的を秘匿する」といった意味でつかわれます。文章において、「的は敵だ」と考えてあまり使わないという人も多いようです。