某テレビのコメンテーターをしている評論家さんの発言。思わず、「お前が言うか!?」(-"-)
この評論家さんの普段の言動を聞いていると、自分の主張は声高に話すのですが、異なる意見には忖度しない人です。
寛容とは正反対の人物と思っていましたの、思わず口に出ました。
今、寛容あるいは不寛容という言葉が一種のブームになっているようです。
「寛容」を辞書でひくと、「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。」ということです。
確かに、昨今のマスコミ報道を鵜呑みにすると、人の言動を受け入れるどころか聞きもしないで攻撃する。小さな罪とか、罪とは言えないような誤りとかでも徹底的に攻撃していく。という不寛容な社会になっているような気がします。
しかし、実際に私たちが生きている社会とマスメディアのなかで描かれている社会はかなり違います。基本的に、日本の社会は「寛容」であると思います。
大きな理由は宗教です。多くの宗教は異端を認めませんので、対立の原因になります。日本では宗教による対立がほとんどおきないことは、実は特別なことだと思います。
宗教という意味では、例えば北朝鮮なども無いのですが、少数者の支配する国です。民主主義の国で、国内に宗教対立がほとんどないのは結構珍しいでしょう。
ここで最初に戻って、コメンテーターさんに「お前が言うか!?」と感じたことそのことが、わたしが寛容な人ではないという証左です。
寛容とは、不寛容(と自分が感じる)ものを受け入れることですし、コメンテーターさんは自分は寛容な人間であり、日本の社会が不寛容だと思っているからこその発言です。
ここに寛容のパラドックスがあります。
LGBT'sを社会的にどこまで認めるのか?(例えば、見た目は男性で心が女性の人のトイレやお風呂はどうするかといった問題)とか、ヘイトスピーチとそれに対する反ヘイトスピーチはどこまで許容されるのか?とか、矛盾があります。
結局のところは、理性とか良心とかの問題になるので、この基準を社会が自然に共有しないといけません。一方で、ビジネスとか政治的利得の観点から、この基準を不自然に動かそうとする人も確かにいます。なかなか難しい、堂々巡りです。