ベルは電話機が嫌いだった

グラハム・ベルは電話の発明者として有名ですが、電話機が嫌いだったそうです。

 

ヘレンケラーとサリバン先生とグラハム・ベル
ヘレンケラーとサリバン先生とグラハム・ベル

アレクサンダー・グラハム・ベルは、アレクサンダー・メルベル・ベルの息子です。

 

父のメルベルは、1819年にスコットランドで生まれ、エジンバラ大学で演説学の教授を務めていました。聴覚障がいを持つイライザと結婚したことで、「視話法」という聴覚障がい者の会話を助ける方法を開発しました。

メルベルは、1870年に妻と息子グラハムを連れてカナダに移住し、クィーンズ大学で教鞭をとります。メルベルは聴覚障がい者の教育に力を注ぎました。

 

1871年にアメリカのボストン聾学校は「視話法」を導入するためにメルベルを招聘しようとしました。しかし、メルベルは断り、代わりに息子のグラハム(当時24歳)を推薦して送り込みます。グラハムも本格的に聴覚障がい者の教育に携わるようになります。後に結婚する妻メイベルは、グラハムの教え子でやはり聴覚障がい者です。

グラハムは1873年にボストン大学に移り、発声学の教授になります。ヘルムホルツの電磁論に遭遇して、グラハムが電話(のようなもの)を発明したのは1876年(29歳のとき)です。

 

実は、電話は聴覚障がい者が健常者に声でコミュニケーションをとるための装置として考えられたのです。ちょっと理解できないかも知れませんが、人と人が面と向かって会話していて時代には、電話の必要性を誰もわかっていなかったのです。コミュニケーションの手段としては、既に電信があったわけで、離れた場所の人と声で会話する意味が感じられなかったということです。

また、グラハムは非常に多忙な人で、会話をするのにじっと同じ場所にいなければならない電話が嫌いだったそうです。光線電話(ワイヤレス電話)の開発に取り組んでもいます。

 

1887年に、聴覚も視覚も失っていた7歳のヘレン・ケラーが父につれられて、グラハムを訪ねます。グラハムが、このときアン・サリバンを家庭教師に推薦します。サリバンは視覚障がい者で、父メルベルの教え子でした。

その後も、グラハム・ベルとヘレン・ケラーの交流は終生続き、ヘレンは自伝で「グラハムは、私がうまくいったときは父のように喜んでくれ、うまくいかないときは父のように優しくしてくれた」と書いています。ちなみに、写真のヘレンケラーとベルは指会話しています。