「そもそも」とは最初から基本的になのか

ひょんなことから、「そもそも」という言葉の意味をみんなが考えています。

 

安倍首相が国会の答弁で、テロ等準備罪が適用されるのは「『そもそも』罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。」と述べたことに端を発します。

 

野党側は「そもそも」は「最初から」という意味であるから、設立した当初から罪を犯すことを目的とした集団に限定して適用されると答弁したと主張しています。これに対して、安倍首相は「そもそも」とは「基本的に」という意味で使ったものであるから、その集団が罪を犯す目的で存在しているのであれば適用されると述べています。

 

オウム真理教のように最初は信仰のために結成された集団が、途中から犯罪を目的とする集団に変貌したようなケースを該当にするのか、しないのかという議論のようです。どうも、議論が噛み合っていない印象です。

 

オウム真理教の後継団体は今も存在していますが、この団体がテロの準備を始めたら、その段階で阻止して欲しいと思うのは当然です。仮に、準備を始めていなくても、現時点で取り締まって解散に追い込んで欲しいと思う国民が過半数かも知れません。野党側もオウム真理教のような団体を監視対象から外すように主張しているわけではありません。

 

「そもそも」のように口語の厳密な意味を議論するのは、そもそも不毛ですよね。正確な記述が必要な学術論文では文語体を使います。「そもそも」なんて話し言葉は使わず、「当初から」「基本的に」とします。「その考えはいいね」は肯定している場合もあれば否定している場合もあります。

 

ところで、人間の業というものは脈絡があるのが一般的です。一見すると唐突に変化しているように見えても、実は見えないところで理路がつながっています。全くつながりがなく、衝動に任せて変化するのは正常な人間(何か変ですが・・)ではありません。また、人間の集まりである集団では、そういうことが起こることはないと思います。

 

つまり、罪を犯すことを目的としている集団は「そもそも」「最初から」「基本的に」罪を犯すことを目的としていたということだと思います。その集団の「そもそも(発端とか、原理とか)」を解き明かすことが、犯罪を未然に防ぐことにつながるのです。