敬老の日。何歳からが老人なのか?

 昨日のブログで西鶴の辞世の句を紹介しました。西鶴は50歳以降はおまけの人生だと語っています。それまでの精力的な生き様を考えると、50歳からが老人なのでしょう。

 

 

 日本の高齢者人口(65歳以上)は3400万人を超えて、人口比では28%です。80歳以上に限っても、1000万人を超えています。

 日本が高齢化社会というのは、人数的には正しいです。また、世界で65歳以上人口比率が最も高い国です。西欧州諸国が20%前後で、アメリカは15%前後になります。 

 日本では高齢者は貴重な働き手です。高齢者の20%以上が働いています。現在では、職場に高齢者が働いていない方が珍しいですね。

 

 さて、何歳からが老人なのか?

 

 現在の法律では、65歳以上を高齢者としています。そのうち、75歳以上は後期高齢者となります。つまり、65歳以上を老人としています。しかし、65歳の方の平均余命は男性で19.3歳、女性で24.2歳です。まだまだ結構先が長いですね。

 

 現在の65歳の方であれば過半数が働いています。日本は世界一の長寿国であり、且つ健康長寿国です。現在の65歳の方は老人とは思わせないアグレッシブな方ばかりです。

 敬老の日でお祝いするには、65歳では若すぎますね。少なくとも75歳以上でなければ、老人という感じでは無くて、しっくりきませんね。

 

 西鶴を含めて、室町や江戸の時代の頃では、50歳が老人の基準だったようです。

 織田信長が桶狭間の合戦の前に敦盛を謡い「人間五十年 化天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり・・」と舞ったというお話も有名です。

 

 もう少し時代がさかのぼると、徒然草には「長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。」とあります。枕草子にも40歳を初老と書いています。

 平安から鎌倉時代ですと、40歳が老人の基準でしょう。

 

 飛鳥時代くらいまでさかのぼると、日本人の平均寿命が40歳を下回っていたようです。この頃ならば、30歳くらいは立派な老人ですね。

 

 ここで面白いのは、魏志倭人伝に 「その人壽考、あるいは百年、あるいは八、九十年」と記されていることです。当時の倭人(日本人)が80歳を超える長寿であったということですが、本当のところはよくわかりません。

 孔子は論語で「40歳にして惑わず、50歳にして天命を知り、60歳で耳に順い、70歳では倫理的に誤ったことはしなくなった」と書いています。孔子にとっては、70歳以上が老人なのでしょうか。孔子は74歳で亡くなったそうです。