恐れるな、愚痴をいうな、過去を忘れよ、善をなせ

明治・大正の政治家であり教育者である大隈重信の言葉です。

 

大隈重信は、1838年に佐賀県の武士の家の生まれました。

佐賀ですから、「葉隠」で示される武士道を身に付けました。「武士道とは死ぬ事と見つけたり」なんて、勇ましいことも書いてありますが、本来の武士道とは「葉に隠れるように奉公すること」だということです。

 

大隈重信は、明治元年に30歳です。明治政府の役人になり、36歳で大蔵卿(今の財務大臣)になります。

政治家としては、第一次伊藤博文内閣と第二次松方内閣の外務大臣(50歳・59歳)を務めた後に61歳で内閣総理大臣・77歳で二回目の総理大臣に就任します。

 

大隈重信の面白いところは、首相を2度も勤めているのですが、政治家としては野党党首のイメージが強いことですね。何度か政争に敗れて引退をしています。

政治を離れた時期にもいろいろな功績があるのですが、最大のものが今の早稲田大学でしょう。

大隈重信のイメージ≒早稲田のイメージです。

 

大隈重信はかなりユニークな人で、官僚・政治家であり弁論は巧みでしたが、ものを書くのは苦手だったようです。弁論では、「吾輩は・・・であるんであ~る」という独特な節回しで知られたそうです。

 

大言壮語の趣もあって「早稲田の大風呂敷」と揶揄されたりしました。いかにも大物然とした風格と、ハッタリで国民を先導しました。日本政治史で稀有な民衆政治家です。

ただ、大風呂敷を拡げて宣言をしておいて、全部はできなくても、結果として大きな仕事を達成してしまうというのは、今もある手法です。トップとしては、成果を上げる必須の手法と言えます。

 

その大風呂敷さんの言葉が、冒頭の「恐れるな、愚痴をいうな、過去を忘れよ、善をなせ」です。どんなにしくじっても、今を起点にして、これから頑張ってやっていこうということ。最後の「善をなせ」が効いています。元気が出ます。

 

さて、大隈重信の最も有名な大風呂敷が、「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る」です。

77歳で二度目の首相となり、85歳で永眠しますが、当時としてはかなりの長命です。今の感覚なら125歳とは言いませんが、100歳以上にはなりますから有言実行です。。

 

ほんの少しでも、見習いたいものです。